『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

理由になるならなんでもいいみたいです

何度か連絡の手段にされていた祖父が亡くなりました。
適度な距離をもって、私の事をかわいがってくれた祖父でした。
認知症も進んでおり、高齢なこともあって、いつこうなってもおかしくありませんでした。
良く思わない方もいらっしゃるかもしれませんが、結論からいいますと、私は葬儀に出席できませんでした。
子供の体調不良で、葬儀に参加することが厳しかったのですが、正直なところ、そういう理由があってほっとしたのは事実です。
母と関わりを断つということで、一番の悩みはやはり冠婚葬祭でした。
体調も崩してない主人が代表して出席してくれることになり、理由はともかく完全に逃げてしまった形になってしまいました。
葬儀も無事に終わり、私は家にて祖父に手を合わせることとなりました。

ただ、もしかしたら、終わってからも線香をあげにおいでとか、お参りくらいしにおいでとかそういう連絡が母からくるのではという懸念がありました。

大当たりです。本当にきました。
母から祖父の気持ちを代弁しているつもりのメールが来ました。
祖父が待っているから、線香をあげにきて。そうしたら祖父は安心して旅立てると思う。
そんなようなことが書いてありました。
本当に。
本当にどうにかしているとしか私には思えないのです。
私が葬儀に行けなかったという負い目に付け込んでくるとか、そこまでのことをしてくるようなら、もうどうにもならないと思ったのですが…
本当に付け込んでくるんですね。
罪悪感に訴えて、なんとかしようって方法をとるんですね。
こんなことするくらいなら、『私たちの事に祖父は関係ないのだから、手を合わせに来い』と言われる方がまだマシな気がしました。
そう言われても困るのですが。

これを機に、頼れるような父ではないのですが、父へメールを送りました。
本当は直接話せるほうが良いかもしれないのですが、母が出てきたりされたら困るので、メールにしました。

母とはただ喧嘩をしているわけじゃないこと、私は関わると生活に支障が出るほどの恐怖を感じていること、子供に対する扱いも不安を覚えること、母からの電話は着信拒否に設定すること、出来たらそちらも母が私に関わらないようにしてほしいということ、このようなことを送りました。

父から返信はありません。見ているか見ていないかはわかりませんし、どう受け止めたのかもわかりません。
ですが、送ってから着信拒否を設定し、メールも一通だけ届いたあと、それから母からのメールも来なくなりました。
まだ、法事などもあるので、どうなるかわからないところですが…
ひと段落は着いたのだろうかと思っています。

葬儀に参加できなかったのは、やはり寂しいです。
身内から逃げ続けるというのは、こういうこともあるとわかっていても実際に起こると心が持っていかれます。

春ですね。

春って、陽気に誘われておかしくなる人が多くなるって言いますが、ボダってどうなんでしょう?

母から子供の入園祝いが届きました。入園の予定は全く話しておりません。

きもちわるいです。

しかも、中に入っていた手紙を見る限りでは、今年かもしれないし来年かもしれないけれど、送りますので使ってください。(要約)ということです。
たとえば、何も知らない人に何の連絡もしていない母から入園の祝いが届いたというと、基本的に予想できる答えは、
「お母さんも気にしてくれてるんだよ。優しいお母さんだね。普通でしょ?なんで連絡断ってるの?」
だと思います。もしかしたら思った人もいらっしゃるのではないでしょうか?

私が届いた瞬間に感じたことは、

『突き返した場合、それを理由にかこつけて何かしてくるだろうし。かといってこのまま受け取って黙っていたら、金銭なら受け取るんだねみたいこと言われるんだろうし…どちらにしてもなんか言われるんだ』

という恐怖です。

つまり、あちらからアクションを起こされたら、それに対しての反応に必ず何か言ってくる、もしくは行動してくるであろう恐怖しか感じないのです。
あと、今後何かがあった時の事を考えると、迂闊に使おうなんて気になりません。
なので、事務的に処理することにしました。

こんなにも拒絶されているのに、何か贈ろうって思って送り付けてくる神経がもはや正気だと思えません。

あと、地味に気持ち悪いのが、手紙には謎の走り書きメモがあったりしたので、みた瞬間の正直な感想は「なんだ、このかまってちゃんは…」でした。
久々に連絡をする相手に送る手紙に、そんなもの書いてあるのうっかり送りますか?
うっかり送ったのでしたら、いい加減な扱い受けたままってことですし、意図的ならキモチワルイとしか言いようがありません。

まだまだ気を緩められないですね。
あり得ないですが、もし母がここを見ているのでしたら。

『本当に関わりたくないのです、気持ち悪いとしか感じておりません。本当に私を思って何かしたいのでしたら、何もしないでください』

昔の事を少しだけ。

少し余裕が出来たら、昔のことを考えられるかな?と思いまして。
試しに、趣向を少し変えて書きだしてみました。
本当なら、絵が書けるのなら、読みやすいようにコミックエッセイ風に書けたらいいのでしょうが、生憎書けないので、文章ならばと、その当時に時折思っていたことを書き落としてみました。

のですが。
内容が内容で、たしかにそう思っていた自分がいるのですが、少し書いただけでかなり憂鬱になりました。
しばらく同じようなものは書けそうにありません。
なので、もしかしたら読んで体調に影響を及ぼす恐れもありますので、その点ご注意いただければと思います。

私が、こう思っていた時は、たちの悪い、いわゆる中二病か何かだと頭のどこかでしっかりと思っていました。
逃避をするために考えているんだと、どこかで思っていたのです。
だから、そのうち過ぎ去るだろうと思っていましたが。
実家にいた時、学生から社会人になっても、時折、酷い時は毎日のようにこんなことを考えていました。

今思うと、当時の自分はかわいそうだと思います。
母が思う通りになれない自分がと、まったく自分の事を考えず、常に母の事だけを考えているあたりが、酷い状態だったのだと思うのです。
ですが、当時の自分は、こんなことでめげている自分がおかしくて、悲劇のヒロインに浸っているだけで、こんなことは当たり前で、どうでもないことなのに落ち込んでいるんだと思い込んでいました。

専門家ではありませんから、こういう考えがある。というだけの事ですが。

そんなどうしようもない考えをまとめて、読み物風にしたのが下になります。
なんの参考になるかどうかもわかりませんが、こんな心理状況によく陥っていました。

 明日は、明日こそは、お母さんの機嫌がいい日でありますように。
 今日、凄い機嫌悪かった…んだと思う。
 全部、それは全部私が悪い…んだと思う。
 私が、お母さんの気持ちが全部わかって、お母さんが苛立つことなく、気持ちの良い返事が出来るようになればいいのに。
 そうすれば、いなくなりたいなんて考えなくても済むのに。
 どうやって消えてなくなったらいいんだろう。
 どうやって死んだらいいんだろう…下手に生き残ったりしたら、お母さんに何を言われるかわからない。
 それが、何より、一番怖い。
 だから、私は死ぬとしたら、消えてなくなるとしたら、きちんとしっかり死なないと。
 失敗したらいけない。
 でも、失敗…する気がする。なんせ、私は『何をやらせてもちゃんとできない出来の悪いヤツ』だから、きっと死ぬことすらも失敗しそう。
 失敗することが一番怖いな。
 明日が来るのが怖い。このままずっと夜だったらいいのに。
 こんなこと考えなくて済むようになればいいのに、なんにも感じ無くなればいいのに、お母さんが怒ってようが、笑っていようが、何しようが、何も感じ無くなって、ただ気に聞いた受け答えができるようになれば、それだけでいいのに。
 何のために生きてんだろうな。
 わかんないけど、でもそれでも感情なんかなきゃ、そんなことも考えなくて済むのに…
 あ、そうだ。読みかけの本があった。
 本読もう、本。
 続き読み切るまで、死ねない。うん、そうだ。次の巻読みたいし、だから死ねない。

拙いですが、少しだけ読み物風でした。考えている事そのまま書いただけともいいますけれど。
とくに大袈裟でもなんでもなく、普通にこんなことを考えるのが日常でした。
こんなこと私よくある! と思った方は、いい状況ではないのではないでしょうか?
どうにか、なる方法が見つかることを祈ります。

二月の頭に

すっかり更新が途切れることが増えましたが、全く連絡がなかったかといえば、そうでもありませんでした。
二月の上旬に連絡が来ておりました。

『お元気ですか? (実家の地名)に来る用事はありませんか? 忙しいですか?』

母なにも変わっておりません。
『こちらに来ませんか?』と言えば断られるのは目に見えているからと、『用事はありませんか?』と聞いてきます。
本当に変わっておりません。
分かる方はわかると思いますが、このなんの変哲もないようにみえるこの一文、母がよく使う手です。
こちらに来ませんかと言わないんです。自分のしてほしいことを隠して、私に察するように仕向けるんです。
今もそれが抜けきっていないので、この一文がどう見えるかと言うと

『忙しくとも、用事があるから来てください』

そう見えるんです。分かる方にはわかると思います。
(さらにいうと、バレンタイン時期だったので、菓子を用意するから取りに来いという話も入っていると推測されます)
今までがそういう要求だったんです。ほぼ必ずと言っていいほどに、母はそのまま要求しません。
母は相手をみて、相手に自分が何を要求しているのかを察するように仕向けます。
それが、母のターゲットであれば、それを察することが出来なかった場合、なぜ察することが出来ないのかを非難されます。
察した内容が違っていても、非難されます。
『なぜ、気遣いが出来ないのか?』『こんなこともわからないのか?』
それは気遣いなのでしょうか? わからないといけないことなのでしょうか?
子供の時は、それがわからない自分に自信がもてませんでした。
こんなの、わかる必要ありますか?
今の私にはそう思えません。
人を招待したければ、『いらしてください』と誘えばいいのです。
寂しくて、来てほしいのであれば『ずっと顔をみていなくて寂しいので、会いたいです』と言えばいいのです。
そこまで言って特別な理由なく断られるのなら、人間関係が破綻してるだけのことです。
『あの人は来てほしいのね、寂しいのね、私は行かなければならない』と束縛感を感じるのは不自然なことだと思います。
相手を思って、してあげたいというのは別かもしれませんが、この場合は束縛感と恐怖感です。

それに、もし、実家の近くに用事があったとして、会いたくもない相手には関係のないことです。
忙しいかどうかも、関わりのない、関わりを持ちたくない相手には関係のないことです。


この察してもらって成り立つお誘いのメール連絡には断りの連絡を返しました。
あと、バレンタインにかこつけて勝手に色々送ってこられても困るのでそれも含めました。


『行きません、何も送らないでください。』

それだけをすぐに返事がこないように夜中に返信しました。
次の日、連絡が帰ってきました。

『あら、残念です』

『あら』って打つほど余裕あるみたいです。
それきり、また連絡はありません。
本当に過ごしやすい日々です。

 

最近、ずっと好きになれなかった自分を、とても素直な気持ちで好きになってあげられるようになってきました。
たった一年で、見えていた世界がどんどん変わっていきます。

気が付けば一年過ぎてました。

ブログを立ち上げてから一年経ちました。
そして、去年書いたとおりにまた今月、私の誕生日がありまして何事もなかったかのように母からメールが届きました。
正月に来ないのかと催促メールに関しては返信しましたが、こちらには返信しませんでした。
これだけ拒絶されている相手にメールを送る心境ってどうなんでしょう…喜んでもらえると思うんでしょうか?
私にはさっぱりわかりません。
嫌がらせたいのか、本当に接点をもちたいのか、両方なのか、理解しがたいです。

あと、災害すらも連絡するための口実のようです。
雪が酷かったり、地震があると、メールが来ます。
どんな心境なんだろうなと想像して、まさか連絡の口実だと喜んでメールしてるのかと思うと本当に怖いです。

一年もまともに相手にされずにいる母は、どうして連絡しようって気になるんでしょう?
正月に来ないのかという催促メールに関しても、忙しい?といった内容で書いてあり、私からの連絡がないのは忙しいせいだとでも思っている可能性もあります。
もしかしたら、都合よくそう言う風に思っている可能性もあるので、油断はできません。
子供のこともあるので、子供の年齢に合わせて、入学等々なにかアクションを起こしてくる可能性もあるので、その辺の対策も考えなければと思っているところです。
ただ、基本は関わらないこと。これですね。
こちらが反応しなければ、母も反応しようがないのですから。
とっかかりを作らない、作らせない。
距離をおくだけの逃げ方なので、なかなかスパッといかないところも多々あります。
なので、今年も気を緩めずにいたいと思います。

とにかく相手は接点を持ちたがる。
暇になったり、思い出されてしまうと、接点を持ちたがる。
これなんだろうな…と考えると嫌気がさしますが…

ここを見に来てる方々はきっと大変な思いをしている方々ばかりだと思われます。
これは私の記録でしかないので、同じように出来ないと思っている方も多いと思われます。
ですが、少しでも参考になっていれば幸いです。

知ることの大切さ

どうにも、行かないということだけを伝えるのすら嫌だなと思い、一日放置したのですが、次の日の朝に急かすようにまたメールが来てました。
文章の崩壊は相変わらずなんですが…後半は数字で途切れるとか…もう何なんでしょう。
ここまでくると、笑えます。ホラーですが。
携帯で文章打っていてどうして途中から数字なのかももう…

結局夜中に、『行きません』とだけ返しました。

次の日に、久々に長めの文章が届きました。
内容をざっくりまとめますと。

老人ホームにいる祖父が私の事、私の子供の事、弟のことをずーっと(←なぜか伸ばしている)聞いてきた。
会えたら喜ぶと思う、会えるといいねという話です。

ちなみに、祖父、認知症がひどくなってホームが変わった旨の連絡も来ておりました。
私は認知症について残念ながら詳しくありません。
そして、母からも適当なメールしか受けておりませんので、言っていることがよくわからないというのが正直なところです。

まとめると、

認知症がひどくなって貴方に会いたがっている!

という内容が続いており、本当に言っていることがわかりません。
祖父にはお世話になったから、会いたい気持ちもなくはないです。
でも、会いに行けば、母と接点が出来上がります。
会いに行かない冷たい孫だと思われてもしょうがないと諦めております。

そして、母は何事もなかったかのように、祖父を連絡する材料に使っているんですよね。これ。

ボダは、接触を持てるためになんでも使うと言う話を読んだことがありました。
これ、そうですよね?
私が祖父に会わない罪悪感あおってますよね。
というか、今までの事を時間が解決していると思っているのか、当たり前のように連絡してきて、それの材料にしてるんですよね。
正直、吐き気がします。気持ち悪いです。

これは、ボダがそういう手を使うという話を読んでいなければ、母のやり口よりも、祖父に会わない自分に対して葛藤したのだと思います。
それなりに、会わない自分はひどいなと罪悪感を持ちますが…
知っていたおかげで、それ以上にそれを連絡材料にしてきたんだと思うと…嫌悪感がすさまじいです。
知っているか、知らないかは本当に大きいです。
そして、意識し続けるために、記録を残しておくことも自分の中では大事なことになっていってます。

最後に叫ばずにはいられない。。

本当にキモチワルイ!!!!

新年あけましておめでとうございます

 年末はクリスマス時期に母から贈り物が届いたり、年始早々に、いつ来るの?って普通にメールが着たりしてました。
 私にしてみたら、ホラーです。
 贈り物に関しては、去年の春頃に母が預かりものをしたといっていたものも同封されておりました。
 どっちがついでなのかわかりませんが、一緒に同封。
 預かりものの説明は付箋で張り付けられており、内容はさらっと。
 贈り物らしきものに関しては記載なし。
 
 これに関しては返事しませんでした。

 そしたら、正月はいつこっちにくるの?というメールが来ました。
 行くこと前提でのメールの内容ですが、来てもらえるなんて本当は思ってないんじゃないかなとも思えなくもないです。
 でなければ、クリスマス時期にまとめて荷物送ってくるでしょうか?
 確信犯なのか、それとも思い付きでやってるのか知りませんが。

 行きませんよ。行くわけがありません。
 このメールに関しては、行かないという意思表示はしとこうとは思ってますが…
 どうなることやらといった感じですが、めげずに頑張ります、自分と家族のために。