『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

二月の頭に

すっかり更新が途切れることが増えましたが、全く連絡がなかったかといえば、そうでもありませんでした。
二月の上旬に連絡が来ておりました。

『お元気ですか? (実家の地名)に来る用事はありませんか? 忙しいですか?』

母なにも変わっておりません。
『こちらに来ませんか?』と言えば断られるのは目に見えているからと、『用事はありませんか?』と聞いてきます。
本当に変わっておりません。
分かる方はわかると思いますが、このなんの変哲もないようにみえるこの一文、母がよく使う手です。
こちらに来ませんかと言わないんです。自分のしてほしいことを隠して、私に察するように仕向けるんです。
今もそれが抜けきっていないので、この一文がどう見えるかと言うと

『忙しくとも、用事があるから来てください』

そう見えるんです。分かる方にはわかると思います。
(さらにいうと、バレンタイン時期だったので、菓子を用意するから取りに来いという話も入っていると推測されます)
今までがそういう要求だったんです。ほぼ必ずと言っていいほどに、母はそのまま要求しません。
母は相手をみて、相手に自分が何を要求しているのかを察するように仕向けます。
それが、母のターゲットであれば、それを察することが出来なかった場合、なぜ察することが出来ないのかを非難されます。
察した内容が違っていても、非難されます。
『なぜ、気遣いが出来ないのか?』『こんなこともわからないのか?』
それは気遣いなのでしょうか? わからないといけないことなのでしょうか?
子供の時は、それがわからない自分に自信がもてませんでした。
こんなの、わかる必要ありますか?
今の私にはそう思えません。
人を招待したければ、『いらしてください』と誘えばいいのです。
寂しくて、来てほしいのであれば『ずっと顔をみていなくて寂しいので、会いたいです』と言えばいいのです。
そこまで言って特別な理由なく断られるのなら、人間関係が破綻してるだけのことです。
『あの人は来てほしいのね、寂しいのね、私は行かなければならない』と束縛感を感じるのは不自然なことだと思います。
相手を思って、してあげたいというのは別かもしれませんが、この場合は束縛感と恐怖感です。

それに、もし、実家の近くに用事があったとして、会いたくもない相手には関係のないことです。
忙しいかどうかも、関わりのない、関わりを持ちたくない相手には関係のないことです。


この察してもらって成り立つお誘いのメール連絡には断りの連絡を返しました。
あと、バレンタインにかこつけて勝手に色々送ってこられても困るのでそれも含めました。


『行きません、何も送らないでください。』

それだけをすぐに返事がこないように夜中に返信しました。
次の日、連絡が帰ってきました。

『あら、残念です』

『あら』って打つほど余裕あるみたいです。
それきり、また連絡はありません。
本当に過ごしやすい日々です。

 

最近、ずっと好きになれなかった自分を、とても素直な気持ちで好きになってあげられるようになってきました。
たった一年で、見えていた世界がどんどん変わっていきます。