『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

たったの数か月による開放感

6月末の連絡以降、一切の連絡が来ることなく秋を迎えることができました。

たった3ヶ月連絡がなかっただけですが

開放感がすごいのです。

母に振り回され時間に追われることがありません。

生活圏がかぶるため、うっかり出会ってしまうかもしれないという恐怖感はたまにありますが、生活習慣も違うため、まだうっかり出会うという状況にも合っていません。

自分や家族の為に考えて行動することが出来るのです。

開放感が大きく、やりたいことも増え、増えた時間をあれこれ消費しているうちに、かえってバタバタと忙しくしていました。

ですが、自分や家族の為に忙しいというのは心地よく、有意義な時間を持てています。

たった、3ヶ月連絡を絶っただけで、この変化。

時折、連絡が来るのでは?
親族であるが為(冠婚葬祭)のことが起こるのでは?

と心配に思うこともありますし、まだどうするかをはっきり決めていないので、突然起こった場合はパニックになる予想も出来ますが、それでも今のところは何もありません。

何が言いたいのかと言いますと、

連絡が途絶えることで、次の連絡の恐怖も確かに残っていながらも、


何もありません。
あるのは、今まで使えなかった自分の時間です。


私の場合、買い物を一つするのでも『母も必要だと言っていなかっただろうか?』と考えることがあったので、それを考えたり、確認したりする必要もなく、自分の生活に合わせた買い物だけのことを考えることが出来ます。
たったこれだけでも、買い物の速度も変わりますし、時間も増えていきます。

これくらいしてあげれば?

そう思う方もいるかもしれません。
が。降りに降り積もり、これだけに収まっていなかった状態でした。
「出来なければ自分で何とかするから」とそう言われながらも、最初の一つ二つくらいで、あとは「どうしたらいいの!出来ない!困る!」と迫ってこられたりしました。

それでも、これくらいは、これくらいは…と続けるうちに自分が手一杯で困っていても、引き受けなければならないという状態になったり、自分や家族を差し置いて母の事を優先にするというのが当たりまえになるようになっていました。

『これくらい』はこれくらいでは済みません。

どこかで断ち切らないと、私も身動きが取れず、母もしようとせずに本当に出来なくなっていきます。
お互いに良い状態からどんどんかけ離れていくのです。


3ヶ月ですが、変化がとても大きいですよ。