『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

はじめに

『毒親』という言葉も『人格障害者』という言葉もつい最近知りました。

私は専門家ではありません。

 

もし、実母がそれに該当するとしたら被害者にあたる立場ですから色々偏っているかもしれません。

ただ、調べていく過程で被害にあった人の日記を読んだりしていると、

 

私だけではないんだ。

他にも同じようなことをされている人がいるんだ。

 

そう気づかされました。

そして、書いている人も書くことによっ少しずつ解放されている感じもあるというのを読んで、今はまだ逃走中ですが、記録していこうと思い、ブログを立ち上げました。

 

追記です(2015/01/11)

このブログを書くにあたって、出来るだけ母を強く非難しないように心掛けています。
思わず非難してしまうこともあるのですが、出来るだけ客観的に、これは酷いことだと感じると意識できるようにしています。
これは、こうすることが目的でもありました。
最初は捨てられずにとっておいた母から頂いた見栄えだけで使い勝手の悪いノートにひたすら思ったように書きなぐっていました。
しないよりはマシでした。

と、あちこちブログを読ませていただいて、毒親で悩んでいる方、ボーダーの被害で苦しんだ方、見ているうちに調べ方が悪いのか、実母がボーダーでという話は相談板などにはあるのですが、ブログという形では見つけられませんでした。

私は、専門家でなければ、専門家に診てもらったわけでも、カウンセラーに相談したわけでもありません。
自分の集めた少ない知識で、そう判断して、逃走してます。

実母であると、生まれた時から一緒にいる為、なにが問題なのかを意識するのは難しいようです。
他人事のように『難しいようです』とするのは、これすらも認識が自分でぼんやりしているからです。

例えば、母に2時間以上(往復で4時間上です)もかかるような場所へ連れて行ってほしいとお願いされたとします。
頼まれた私は、今ある家庭の都合や、かかる時間、天候など色々なことを考えながら、どうやったら連れていくことが出来るか考えていました。
母は『無理なら無理しなくてもいいから、無理なら自力で行くから』とも付け加えます。
でも、それがそのままの意味でないことを私は知っているので、どうにかして連れていくことが出来ないかを考えていました。

私の頭の中ではまるで被害妄想と思われるかのような二つの結果がいつも見えています。

無理と断れば、役に立たないと罵られ、母が自力で行く場合もありますが、もう連れて行ってもらうつもりでいる母は、家族は助け合うものだとか、自力で行くといったはずが、まるで私が悪いかのようにどうしてくれるという勢いで、「どうやって行ったらいいの?」と責められたりします。

これが、連れていくことになれば、母は上機嫌で用事を済ませることができます。そして私にもお礼をいいます。
ここで終わるときは気持ちよく終われるのですが、大抵ここではなかなか終わりません。
無理をしている私の機嫌が悪いからです。
母は、人の機嫌の良し悪しも思い通りにならなければ気が済まないようで、機嫌の悪さを執拗に追及します。
機嫌の悪いところをつつかれるので、私も理由を話します。
たとえば、私の用事を後回しにしたり、時間がかかりすぎて急いでいたり、言わなければいいのに、追及に言う羽目になるか、言わなければ言わないで、自分が悪かったと、どちらに転んでも『ごめんなさい』の嵐がやってきます。

私は出来ればお互い機嫌よく終わればいいと思うようになってきます。
そうすると、2時間以上かかる場所へ『私も行きたかった』と思うようになり、それなら私の機嫌も悪くなりにくく、母も機嫌よく終われるわけです。

考えた結果、どちらを選ぶかというと、
なんとか都合をつけて、2時間以上もかかる場所へ母を連れていくを選ぶのです。

私は、「2時間もかけていく羽目になったよ、…出来れば行きたくない」と友達にこぼします。
ですが、友達にしてみれば「大変だね。なら行かなければいいんじゃない?」そう答えます。

友達が『行かなければならない苦痛』であるなら行かなければ済むことだと思うのは当然です。
でも私には『行っても行かなくても苦痛』であり、問題点は母が機嫌を損ねて『当り散らされる苦痛』が背後にあるわけですが、こういった生活が当たり前になってる私には、行く行かないの問題でないことが当たり前すぎて、そこまでの背景は説明する必要性のないものになっています。

なので、結局私は「そうなんだけれど、行かないと面倒でね」と背景を『面倒』という言葉で片付け、これ以上自分はアドバイスしようがないと感じた友達は「そっか、色々大変なんだね」とそこで話を終えるのです。

客観的に自分で自分の現状を分析した状況です。
これは、実際に上のような体験をした私と、上のような体験を話してくれた友達がいました。

そして、話している私は何が問題かをわからずに愚痴を言い、友達の話には「そんな相手をしてて大変だな」と思いつつ、自分で経験しているはずのことを重ねて考えることが出来てない私がいました。
今だから気づけましたが、この時は同じような話なのに自分のことだと認識できないでいました。

私は専門家ではないので断言できないのですが、家族や身内に人格障害がいる人たちは、他の人の話を聞くとおかしいと認識できるのに、自分のことはおかしいと認識できてないのだと思います。
似たような話があったとしても、自分に重ねることが出来なく、しないことで自己防衛しているのかもしれません。

そんなことをもあって、ボーダーの親を持つ子が書くブログというのは見当たらないのかなとそんな風に思いました。
ただ、見つけられてないだけかもしれませんが。

私個人的には、家族にボーダーがいて、被害を被っているけれど、なんとかやっているからいいやという人はそれでいいと思います。
そういう人は、このブログはなんの役にも立たないものだと思います。

家族がボーダーで被害が苦痛で辛いと思っている人がここへきて、ただの私の記録で、おこがましいと思いつつも、何らかの形でお役に立てれば幸いです。
そう思って、わかりやすいブログ名にしております。

あと色々考えてはいるのですが、まだまだ自分のことで手一杯で、申し訳ないと思いつつもコメントなしの状態にしてあります。
色んな思いで星をつけてくれた方々に感謝しつつ、逃げていきたいと思います。