『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

あれからと、これからと。

気が付けば一か月過ぎてましたね。
暇になって来たであろうメールは内容が内容だっただけに、返事はしませんでした。
返事返さないの初でした。
返事がないことを理由に押し掛けられても困るからと今まで返していたのですが、そろそろいいでしょうと。

内容はひどいものでした。
何がひどいかって、誤字脱字のオンパレード。
まったく読み返していないんですよね。
久々の連絡だってのに、勢いで書き込んで見もせずに送るなんですから。
私の扱いがそのまま反映されているんだろうとよくわかります。
特別卑屈になって言っているわけじゃありません。
弟へのメールは何回も読み返してるの、見てましたから。
弟のはしても私のはしないようです。よくわかります。

そうであっても、家族として生活した時間が長いので、こう言いたかったのであろうとわかってしまうんです。
付き合いが浅ければ、意味不明な内容です。
なんせ、誤字脱字のせいで、たぶんこう言いたかったであろう内容が、別の内容に変化してるんですよ。
どれくらいかというと
『おじいちゃん』→『おじちゃん』という具合です。
どちらのおじちゃんの話してるんでしょうか?ってくらい、示している人すら違いますから、内容も大きく異なってしまいます。

今までは、それらを汲んで考えて連絡を返していたのですから、私も母に対して労力を費やしていたんだなぁと思えます。
今はこんなメール送られてきて、まともに返す方もばかばかしいので、前回のはそのまま放置です。
どうして放置なのかは母が読み返せばいいと思うところですが、そんなことはしないだろうと思うので、私が無視しているとでも思えばいいと思います。

 

まだ時折、夢に母が出てきてうなされます。
でも、このブログを始めるきっかけがあって一年です。
もうすぐ、ブログを始めて一年になるんです。
もうすぐです、もうすぐ母と距離をおいて一年。

距離をおいたことで困ったことは、何もありません。
大事なことなので、もう一度、何もありません!
むしろ、困らないことの方が多くなりました!
夢に出てきたらうなされるくらいです、会わない方が平和なんです!
どんだけ悩まされていたんだ!というくらいです。
これは、距離をおいて初めてわかりました。一緒にいたら絶対にわかりません。
まだまだ、どうしても完全に断てない事はありますが、それでもずっと距離を置き続けます。

暇になると…

数か月ぶりに母からメール連絡がやってきました。
4か月半ぶりだったと思いますが、数えるのも嫌なので、ざっくりと数えました。
内容を読む限りでは暇になったんだなという気がします。
もっと忙しくしていてくれたほうがいいのですが。
暇になってもこっち向かないでいてくれればいいのですが。

メールを見ながら思うのですが、あれだけはっきり拒絶され続けていながら、何事もなかったかのように、しばらく時間が経っただけのように、普通の連絡くるあたりが普通じゃないんだなと改めて思います。

このダラダラと書いているブログが誰かの役になっているかどうかはわかりません。
もし、わずかでもお役に立てていればそれは本当に幸いです。

それとはまた別として、ブログを書くことで自分が常に意識していられるというのはとても大きい意味を持っていることも今回痛感しました。

私がこうブログを書いていれば、母が一人で勝手に時間が空いてほとぼりが冷めても、私にしてみれば常です。

長期で怒ったり、嫌ったり、拒絶し続けるのは実はとても難しいことです。

こうやってブログを書いていくことで、意識し続けることが出来ます。
…更新長引いたりもしましたが。
それでも、母と一緒に時間が空いてほどぼりが冷めるということはありません。
考えも明確にしていくことも出来ます。
突然の連絡に動揺し過ぎることもありません。
…それなりに動揺しますけれどね。

メールの内容も気を引くことばかり書こうとしているのか、気にしなければ酷い人間だと貶すための内容なのかと思えるようなものでした。
意識していることが出来なければ、揺さぶられたんだと思います。
…それなりに揺さぶられていますが。

時間が空くたびに気を許してしまって後悔しているという方がいれば、ブログじゃなくても手書きの日記でもいいです、記録してみるのはどうでしょう?

「だからどうした」という言葉

前回はスマホから思い出した事柄をひたすら書き続けました。
ですが、恨みつらみというわけではありません。

嫌だったなぁと思う程度なんです。

「だからどうした」という話もあるかもしれませんが。
そういえば、この言葉も母によく言われておりました。
必死に考えて伝えたつもりなのに、冷たく言われてました。
母にとっては、だからどうしたってことなんでしょう。

話がそれましたが、嫌だったなぁという以外は私が意識できてないこともあり、『普通の母親』だと思っていたことです。
一緒に長く住まないと比べようもないのですから、母親はこういうものだと思っていました。
虐待をされていたという認識は私にはありません。
私の為か、世間の目の為かは判断できませんが、子供の頃は普通に学校へ行くことも出来ていましたし、お弁当が必要なときは作ってもらっておりました。やりたいこともおおむねさせてもらえていたような気もします。

じゃあ、毒親でも人格障害でもないのではないか?

ここなんだと思います。
一般的にはいたって普通。周りから見たら良いお母様。親子仲良くいいね。
そうにしか見えないんです。周りがそういうので、私がおかしいと感じる事がおかしいのかと思います。
母はそういう周りを盾にしてみんながこう言っているのだから、あんたがおかしいのだとくるのです。

おかしくない人間でも、お前はおかしいおかしいなんてことある事に言われ続けたら、自信もなくなります。
無茶苦茶な理不尽な屁理屈を押し付けられて、お前はおかしいからわからないんだと言われているうちに、本当にわからなくなります。

このあたりは精神的に追い詰めるDVに似ていると思うこともあります。

全部親のせいだというつもりはありませんが、あの状況に戻りたいとは決して思いません。

自分がおかしいなら自分が変わればなんとかなると思っていた時期もありました。
ですが、自分がいくら変わろうと前向きになろうとしても、最初は突き放すように賛同し、次に引き戻して鼻で笑い、やっていることを否定するのが母でした。

なので、いくら自分が変わっても、母がいるという環境の中では何も変われていないという現実があったのだと今ならわかるのですが、何をやってもダメだという思い込みの為に、私が変わることを妨害しているのが母であったのにも関わらず、すべて自分がうまくできないせいだと思っていました。
母が機嫌を悪くするのは全て自分のせい。
母が何かを失敗するのも全て自分のせい。
全部、自分がうまく立ち回り、機嫌を損ねないようにできなかったのが悪いと本気で思ってしまっていた時期すらあります。

そして、そういう風に思っているのは私だけではなく、母も祖母に対してそう思っていたようでした。

負の連鎖でしかありません。

だから、母は毒であり人格障害なんだと思うのです。

毒、DV、人格障害、これらは離れないと見えないところが本当に多いんだと思います。

過去の事を淡々と

少しづつ思い出す過去の些細な事。

弟を特別に思う母の姿。
ある日、爪の形について話てた。
私は小学中学年、弟は幼稚園児くらいの時で、母と私と弟と三人で話していた。
母は自分と弟の爪の形が一緒だね。母家の血筋だね。と。
私は仲間外れのような寂しさで、私も一緒!というが、母は「○○(私の名)の爪は父と一緒!父家の血筋だよ。違う形だね」と言って、弟は母と一緒だと喜ぶ、私は仲間外れ。

もったいないと言う母。
確かに節約は大事な事だが、そのもったいないが極端。
仕事と称してやっていた茶碗洗いをしていると、「水がもったいない!出し過ぎ」と注意されるのは当たり前。
でも、母も私と変わらない出し方をしている。
必要でつける電気ももったいない。そんなに使わないでと言われる。
作って欲しいと言われて料理を煮込んでいたら、いつまで火をつけてるの、もったいない。
必要以上に煮込んでいるわけじゃない。
慌てて消したら煮込み足りずに、味が薄くて文句を言われる。
トイレに入るのすら嫌な顔をされる。
「せっかく掃除して綺麗にしたのに」とか「そんなに使わないで欲しい」とか「公園のトイレにいってくれないかな」とか。
冷蔵庫を開ければ、すぐ閉めて!もったいない。と探す暇なく閉められる。
お風呂は長すぎる、もっと早く出ないともったいない。
もったいないは年々エスカレートしていた気がする。
手巻きのLEDライトを回してつけて、それを夜灯すまでにエスカレートした。
でも、それは私といる時が殆どで、父や弟には強くは要求しない。
そして、父や弟がいかに無駄に使用してるかをLEDライトの暗い光の中、私に愚痴る。
節約の度が極端だから、母の茹でる麺類はいつも水が少なめでべたりとしていた。
そして本人は茹でるのが下手だからと言っていた。
それは、水が少ない上にガスがもったいないと早めに茹であげてしまうからだと私が指摘しても、もったいないと言い張っていた。
もったいないという割には、別のなくてもいいようなものを買い、私が節約しても母が好きなものどんどん買うだけだなぁと思っていた。

私の容姿が褒められると、褒めた人が居なくなったところで、その人の目が悪いだの、趣味が変わっているだの、趣味が悪いだの、とにかく私の容姿が褒められたことがおかしな事で間違いであると必ず言ってきた。

イジメられてるのかもしれないと悩んだ時に、友達のお母さんが親身に聞いてくれて、親にも相談するようにすすめられて、思い切って母に話したら、
「だからどうしたの。○○(私の名)に原因があるんじゃないの?そうされるようなことしてたんでしょ?」なようなことを言われ、イジメられてるかもの行為が吹き飛ぶくらいにショックを受けた。
結局イジメなんてものじゃなかったから良かったのだが、二度と母には話すまいと思った。

私は姉で女だから。だから弟は朝からゲームをやりっぱなしでも何も言われず、少しでも私もやりたいと言うと、何故か『姉であって女である』から駄目だと言われ、年上であることと女であることを恨めしく思って、好き勝手やっている弟も好きにはなれなかった。
弟が好きではないということは、良くない事だと散々言われたが、尚好きにはなれなかった。
そして、それがダメな人間であるかのように言われた。

料理を母から積極的に教えてもらうことはなかった。
そのはずなのに、私が料理が出来ないことを、役立たずであると言われる。
弟も同じく料理すればいいと言っても、男だから、あなたは女だからと言う返事。
改めて教えて欲しいと言って教えてもらうが、母は教える事があまり上手くなく、料理本を読む方が早かった。
かと言って、作ると色々文句を言われる。
なぜか使ってはいけない調理器具が並んでいて、使おうとすると怒られた。
何を使っていいのかダメなのかわからない台所で何も出来ないでいると、文句を言われる。
どちらにしても、文句を言われる。

アイロンがけは少しの失敗も許されず、変なシワができただの、電気代がかかるから早くしろだの、あまりに言われすぎて、アイロンには近づかなくなった。
今はのびのびとアイロンがけ出来て、あんなに恐ろしかったのに、楽しく出来てる。

『役立たず』はよく言われた。
言われたあとは生きてるのが嫌になったことも数回では済まない。

茶碗洗いを仕事と称してやる事になっていたけど、洗い方が汚い、食器のしまい方が悪い、水を出し過ぎ。とひたすら言われた。
水を出し過ぎずに丁寧にしたら、時間が掛かり過ぎと言われて、どうしようもなくなり、そこからはあえて雑に洗うようにした、もう洗わなくていいと言われたくて雑にした。
そう言われることなく、文句を言われ続けた。
手あれが酷くなっても、よくわからないクリームやサプリを買ってきたりされたが、洗う事を止めさせてはくれなかった。
結局自分の手を自分で守るために自分で洗剤や手袋を探して買った。
手あれで手が痛いと言ってるのに「おかげで私の手はつるつるなの」とか言われた時は嫌悪した。

ダラダラとした過去の些細な話。
だからどうしたと、たかがそれだけの事?と言われたら、たしかにそれだけの事です。
ですが、私にとってはどんどん積み重なっていった話です。

祖母や母の言っていた「親になればわかる」という言葉

母はよく「親でないからわからないんだ、お前も親になればわかる」という言葉を使っていました。
その時は、私は子供であり、親の立場にはなれない状態です。

母が祖母から言われていたのは「血のつながらない子供を育てたことがないからわからなんだ、そういう子供を育てて初めてわかるんだ」のようなことを言っていたそうです。

親になってわかるのですが、母も祖母も話している相手がなれないであろうことを言って優位に立っているだけだと思います。

なったからといってなんなんでしょう。

数々の暴言や仕打ちが消えてなくなるわけではありません。

今思い返しても、腹立たしい言葉です。

親になるというのは親をわかるためになるわけじゃないです。
何を振りかざしているんだろう、バカバカしいと思うのです。

親になって分かるのは、自分の親がおかしかったということです。

迫りくる年末年始

連絡はいまだに途絶えたままです。
ここの更新も途絶えたままでした。

色々思うこともありつつも、ようやく本来の日々の生活になってきたので、ここと向き合うことも少なく済むようになりました。

ただ、最近は夢見が悪く、夢に母が出てきてうなされるということがあります。

これ、フラッシュバック?

と一人で笑ったりしているあたり、少しは余裕が出てきたのかなとは思います。

 

そして、事が起こった年末年始が近づいてきてます。
もう関わる気もないと思いつつ、年賀状どうしたものかなぁとつまらないことを考えています。

どうしてでしょう。自分で書いておいて不思議な感じがするくらいです。

自分ではなく、他の人には「年賀状なんていらないでしょう」とたぶん即答するでしょう。
ですが、自分になると目が曇ってるんです。

そういうことってありませんか?

個人的にお勧めなのは、自分で縁を切りたい人に対してしようと思っていることを書き出して、他人から相談を受けたつもりで予備知識を一度切り捨てて答えを書いてみたらどうでしょう?

毒親で悩んでいるという人の話をつらつら読んでいると、不思議でならないのに、いざ自分だとその不思議な行動を選ぼうとしてしまうんですよ。

縁を切りたいと言っているはずなのに、仕送りがとか、電話をかけなきゃとか。

縁を切ると言うのは簡単なことじゃないです。

私の場合は、『連絡を絶ち会わない』だけです。
居場所を教えないように逃げ、住民票にロックをするという厳重な逃げ方ではありません。
ただ『連絡を絶ち会わない』だけです。

ただ、連絡しないで会わないだけなら簡単じゃない?と思われる方もいるかもしれません。

そうです、向こうから連絡が来なくなるなら、簡単なことなのかもしれません。
(ただ、私の場合生活圏がかぶるので、不意に会う可能性も捨てきれませんけれど)
簡単なことですが、あちらから連絡を受ければダメージを受けますし、なにかあったり、これから起こること(例えば私の子供の成長)で連絡をするべきかどうかということも悩むのです。

ですが、逆に関わってほしいかと思えば、それだけはNO以外の回答はなく、それならば、連絡すべきじゃないという結論に落ち着くわけです。

ただ、旦那の実家には説明を全くしていないため、これから起きる事、子供の成長や年老いた祖母の事を考えると、関わらざるをえないときはやってきます。
それまでには色々結論を出しておかなければなりません。

まだまだ出てなくてその辺は少し焦ってますけど。

旦那の実家には説明は無理だと思っています。
理解されるような相手に思えず、旦那自身も自分の実家を快く思っていないという現状。

『連絡を絶ち会わない』だけというのも、それだけなら簡単なはず…とも言い難いのです。
言い難いからといって、気持ちを緩めたりしないように引き締めていきたいですね。

ただ、「どうしていいかわからない」からといって、親に振り回され続けるのは得策じゃないと思います。
頑張りどころは毒親にではなく、どうやって逃げ切るかという自分に使ってあげられたらいいと思います。

蛇足
最近『3世代同居で所得税など優遇 子育て支援で政府検討』という支援を見て眩暈を起こしました。
毒親や人格障害になど出会わずにいる人には理解されないとは承知しつつも、こんなの現実になったら、せっかく逃げられた人も再度追いかけられるのではないかと、とても心配です。
自分も他人事じゃないかもしれないと恐ろしく思っています。
蛇足でした。

『比較しての自分ありき』は恐ろしい?

毒親という言葉は広がっているようなのですが、なんだかたいそうなものになっているような気がします。

毒になる親から来ていると言われている『毒親』。
書籍にもなっていたりしますね。
そのレヴューをみてとても違和感を覚えたのですが、自分なりに納得できる答えが見つかりました。

『こんなのは毒親なんかじゃない、普通のことだ。』

というようなレヴューが必ずと言っていいほど一つ二つはあり、内容に違和感を覚えました。
本として世に出版して料金を戴けば、それなりに評価されるのは当たり前だと私は思っています。
いいと思う人もいれば、良くないと思う人もいるでしょう。
それは、仕事として世に出ればそうなるものなので、どんな評価もあり得ると思います。
私は全く思いませんが、自分の親の悪口を書いてお金をもらうのか?って思う人もいるんじゃないでしょうか。
でもそんな中でも際立ってざわりとするレヴューが先ほどの

『こんなのは毒親なんかじゃない、普通のことだ。』

でした。そう思う評価もありだと思いつつもざわっとするんです。
どうしてかなぁとぼんやり考えていて浮かんだのが母の顔でした。
私が毒親で人格障害だろうと思ってる母です。
母ならそんなこと言ってもおかしくない。
そして、自分がどんな待遇を受けてきたかを語り、それよりはずっといい、それよりは幸せなのに、なぜこんなことを言っているのか。と。
母の声で再生されそうな勢いでした。

私は専門家じゃないのですが、「この程度で何を言っているの?私なんか」っていうのを本気で思うようになったら危ないんじゃないかなと思います。
まず、発信している人が毒だと感じ苦痛だと感じることを否定し、自分はこれほど大変だったと自分を肯定します。
だから、自分のように苦しんでいない人は大したことがないという目線になっています。
なので、母が私にしてきたことの中で私が酷いと感じても「自分はもっと大変だったのだから、こんなことたいしたことではない」と強制してきたのです。
何が大変と感じるか、何を辛いと感じるか、全部自分基準なんです。
比較しての自分がありきなんです。

何度も書いていますが、母もたぶん被害者でした。
理不尽な思いもいっぱいしてきたでしょう。
ですが、被害者が自分の受けた仕打ちと他の人の受けた仕打ちを比較し、この程度でなんだと一蹴している状態が既にそうなってきてしまっているんだと思うのです。
酷い思いをした人たちというのは、誰がどれだけというのはもう関係ない思うんです。
比べて何になるんでしょう。
そんなに毒親の定義、こうでなければ毒親なんて呼べやしないというのが必要なんでしょうか?
私にはそう思えません。
そこに入り込んだら、自分もそこに近づいてしまうと思います。
たまに、何か違うなぁ?って思う話はありますが。
それはそれで。
それが相手を否定する理由にはならないと思うのです。