『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

過去の事を淡々と

少しづつ思い出す過去の些細な事。

弟を特別に思う母の姿。
ある日、爪の形について話てた。
私は小学中学年、弟は幼稚園児くらいの時で、母と私と弟と三人で話していた。
母は自分と弟の爪の形が一緒だね。母家の血筋だね。と。
私は仲間外れのような寂しさで、私も一緒!というが、母は「○○(私の名)の爪は父と一緒!父家の血筋だよ。違う形だね」と言って、弟は母と一緒だと喜ぶ、私は仲間外れ。

もったいないと言う母。
確かに節約は大事な事だが、そのもったいないが極端。
仕事と称してやっていた茶碗洗いをしていると、「水がもったいない!出し過ぎ」と注意されるのは当たり前。
でも、母も私と変わらない出し方をしている。
必要でつける電気ももったいない。そんなに使わないでと言われる。
作って欲しいと言われて料理を煮込んでいたら、いつまで火をつけてるの、もったいない。
必要以上に煮込んでいるわけじゃない。
慌てて消したら煮込み足りずに、味が薄くて文句を言われる。
トイレに入るのすら嫌な顔をされる。
「せっかく掃除して綺麗にしたのに」とか「そんなに使わないで欲しい」とか「公園のトイレにいってくれないかな」とか。
冷蔵庫を開ければ、すぐ閉めて!もったいない。と探す暇なく閉められる。
お風呂は長すぎる、もっと早く出ないともったいない。
もったいないは年々エスカレートしていた気がする。
手巻きのLEDライトを回してつけて、それを夜灯すまでにエスカレートした。
でも、それは私といる時が殆どで、父や弟には強くは要求しない。
そして、父や弟がいかに無駄に使用してるかをLEDライトの暗い光の中、私に愚痴る。
節約の度が極端だから、母の茹でる麺類はいつも水が少なめでべたりとしていた。
そして本人は茹でるのが下手だからと言っていた。
それは、水が少ない上にガスがもったいないと早めに茹であげてしまうからだと私が指摘しても、もったいないと言い張っていた。
もったいないという割には、別のなくてもいいようなものを買い、私が節約しても母が好きなものどんどん買うだけだなぁと思っていた。

私の容姿が褒められると、褒めた人が居なくなったところで、その人の目が悪いだの、趣味が変わっているだの、趣味が悪いだの、とにかく私の容姿が褒められたことがおかしな事で間違いであると必ず言ってきた。

イジメられてるのかもしれないと悩んだ時に、友達のお母さんが親身に聞いてくれて、親にも相談するようにすすめられて、思い切って母に話したら、
「だからどうしたの。○○(私の名)に原因があるんじゃないの?そうされるようなことしてたんでしょ?」なようなことを言われ、イジメられてるかもの行為が吹き飛ぶくらいにショックを受けた。
結局イジメなんてものじゃなかったから良かったのだが、二度と母には話すまいと思った。

私は姉で女だから。だから弟は朝からゲームをやりっぱなしでも何も言われず、少しでも私もやりたいと言うと、何故か『姉であって女である』から駄目だと言われ、年上であることと女であることを恨めしく思って、好き勝手やっている弟も好きにはなれなかった。
弟が好きではないということは、良くない事だと散々言われたが、尚好きにはなれなかった。
そして、それがダメな人間であるかのように言われた。

料理を母から積極的に教えてもらうことはなかった。
そのはずなのに、私が料理が出来ないことを、役立たずであると言われる。
弟も同じく料理すればいいと言っても、男だから、あなたは女だからと言う返事。
改めて教えて欲しいと言って教えてもらうが、母は教える事があまり上手くなく、料理本を読む方が早かった。
かと言って、作ると色々文句を言われる。
なぜか使ってはいけない調理器具が並んでいて、使おうとすると怒られた。
何を使っていいのかダメなのかわからない台所で何も出来ないでいると、文句を言われる。
どちらにしても、文句を言われる。

アイロンがけは少しの失敗も許されず、変なシワができただの、電気代がかかるから早くしろだの、あまりに言われすぎて、アイロンには近づかなくなった。
今はのびのびとアイロンがけ出来て、あんなに恐ろしかったのに、楽しく出来てる。

『役立たず』はよく言われた。
言われたあとは生きてるのが嫌になったことも数回では済まない。

茶碗洗いを仕事と称してやる事になっていたけど、洗い方が汚い、食器のしまい方が悪い、水を出し過ぎ。とひたすら言われた。
水を出し過ぎずに丁寧にしたら、時間が掛かり過ぎと言われて、どうしようもなくなり、そこからはあえて雑に洗うようにした、もう洗わなくていいと言われたくて雑にした。
そう言われることなく、文句を言われ続けた。
手あれが酷くなっても、よくわからないクリームやサプリを買ってきたりされたが、洗う事を止めさせてはくれなかった。
結局自分の手を自分で守るために自分で洗剤や手袋を探して買った。
手あれで手が痛いと言ってるのに「おかげで私の手はつるつるなの」とか言われた時は嫌悪した。

ダラダラとした過去の些細な話。
だからどうしたと、たかがそれだけの事?と言われたら、たしかにそれだけの事です。
ですが、私にとってはどんどん積み重なっていった話です。