『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

原因と結果

あれから返事せずにいたら、また連絡途絶えました。
このままでいて欲しいです。

『親のせいにして』

という言葉に不快感と違和感を感じたので、少し考えてみました。
少し自己啓発のようになるかもしれないですが、ご了承下さい。

今までの事と向き合おうとすると、心理学や自己啓発になるのは避けられない道なのでしょうか?
どがつく素人の考えなのでそんな考え方もあるかなくらいでお願いしま
す。

『親のせいにして』という言葉には、『自分が悪いのに親に責任転嫁して』という意味なんですよね。

ですが、責任転嫁していなければ、『せいにして』にはならないはずです。

これを考えていたら、幼稚園児の自分を思い出しました。
私は昼に使うコップをよく忘れました。
先生にどうして忘れてしまうのかを聞かれた際に、私は「お母さんがコップをとってくれないの」と答えました。
先生は「お母さんのせいにしちゃいけない、自分でとって用意したらいいんだよ」と教えてくれます。
「でもね、私の届かないところにコップがあるの」と私は反論します。
先生はさらに「そしたら届くところにコップを置いてもらったらいいんだよ」と教えてくれました。

先生は『親のせいにしないで自分で出来るようにしたら良い』と教えてくれたわけです。

このやりとりがおかしいと思う人は少ないと思います。

ですが、このやりとりで肝心な事が抜け落ちてるのです。
母は意図的に私の届かないところに、コップを置いています。
そのため、私が自分で出来るようになるためにコップを届くところに置くという話にならないのです。

先生は連絡帳に『お子さんが自分でコップの準備が出来るように手の届くところにおいてあげてください』と書き込み、私も母にお願いをしたのですが

『弟の手に届いてしまうから、届かない高いところに置いているの』

と私が届いて弟(乳幼児)には届かない場所に置くという対応はしてもらえませんでした。
先生にも母はそう伝えました。
そこから先のことはあまり覚えてないのですが、このやりとりだけフラッシュバックのように思い出しました。

これは私のせいなんでしょうか?
明らかに違うとわかります。

母に責任転嫁しているわけではなく、原因が母なんです。
そして、私が自分の意志で忘れないようにコップを持っていくということが出来ないという結果がでてます。

原因と結果が目に見えてわかるものなら、こうやって説明も出来て理解されやすいですが、目に見えなく因果関係がわかりにくいものは説明もしにくく、自分でさえも理解できていない場合があります。
なので、ひとくくりに『親のせいにしているだけ』と言ってる人は原因と結果を知らずに言っているだけなのだと思います。

それに、困ったことに意識の中では親に対しての不満がたまり続けているわけですから、説明をしようとする際に『親への愚痴』や『親への攻撃』も加わってしまう場合があります。

『私はこんなに辛かったんだ!わかってほしい!』と他者に強く求めて、『親はこんなに悪いんだ、こんなにも酷いんだ』としなくてもいい親の悪口が追加されてしまったりもします。

自分でも気が付かないうちに、原因と結果だけではなく、親を必要以上に悪く言ってしまうと、『親に甘えているだけじゃないか?』と他者には誤解されることが多くなります。

そして他者よりも、親にされてきた否定を、今度は自分が親にしていることになり、知らない間に自分で嫌な思いをするはめになります。

前に「親のせいだから、そう分かったら治しちゃいましょう!」とそんなことを書きました。
だから、これは母のせいだ。と思ったらそこで止まってしまうとずっと母からは逃れられなくなってしまいます。

なので、これは母のせいだと自分でわかったら、誰かにわかってもらうのでなく、自分自身が理解して、原因がわかったからなんとかしよう!そうしよう!と方向転換すればいいだけです。

なかなか、その『だけ』ができなくて大変ですが。
時折、母を必要以上に悪く言ってしまうこともあります。
もう少し第三者的な目を持って、自分の味方は自分だという方向にもっていこうと心掛け中です。

まだまだ、母からの連絡が来る度にガタガタしてますが、少しづつでも良い方向に行けるように頑張っていこうと思ってます。