『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

親戚と母、母と私の境界線

子供が生まれて、お祝いを持っていきたいと、母の実家親戚が私の家に行きたいという話を母にしました。
母の実家は絶対的なものというスイッチが入り、それまでは色々こちらの手伝いをして話をきいてくれていた(ようなきがしていた)母が豹変しました。

親戚がやってくる!

でも、それは私の家にです。
母の家に来るわけではありません。

「産後でバタバタしていて、大したお構いも出来ませんけれど、良かったら来てください」

と私は言いました。
ですが、母はそれでは駄目だと言い、お茶を出さなければいけないと言い始めました。

母は私の家の台所は「よくわからないから」と言って手を出しませんでした。
それに、私の話をまともに聞かずによくわからないと言って滅茶苦茶にして、二度手間にされる恐れがあったため、私も触らないでと言っていました。
ですが、『よくわからない台所で』私はお茶を出さなければならないと言い始めたわけです。

初夏のこともあって、それなら冷たいお茶を用意しておくからとこちらも妥協したのですが、母はどうしても『お湯を沸かしてちゃんとお茶を入れてもてなしたい』とひかないのです。

家にくる親戚だって、産後だから色々バタバタしていてどうにもならないことくらいわかると思うんだけれど?と言っても聞いてくれません。

前に親戚の誰かが茶を出さなくて文句を言われていたとかなんとか。

そんなことを言い始めて、そうなるわけにはいかない、ちゃんと『もてなしたいんだ』と言い始めました。

気が付けば『お茶は出したい』から『もてなしたい』にランクアップです。

私も乳児相手にまともに寝ていなくて辛かったので、わかったわかったと。

そしたら台所の説明するから聞いてほしいと言ったら『よくわからなくて面倒』と言って聞かない。
しまいには、「産後の貴方を気遣って台所の片付けをしてくれるかもしれないのだから、使い方とかそんなことは言ってられない、そういう気遣いを断ってはいけない」など言い始めて、私がいっぱいいっぱいになり、旦那に相談したところ

『悪いんだけれど、その親戚の人、うちに何しに来るの?嫌がらせしにくるの?』

と私と同じく疲れ果てた旦那が気分悪そうに応えてくれた。

他人が普段触れない場所なので、食べ物用やそうでないものなど、台所にはスポンジが3つほど常備しているんです。
手伝ってと私が頼んで、『面倒だね』と言われれば確かに面倒です、悪いなと思います。

でも、勝手に手伝う使わせてと言って、面倒だねと言われたら、手伝ってとも言ってないし、使っても欲しくないので触らないでとしか思えません。

散々悩みに悩んで、なんとかお茶くらいなら出せるように体調整えたり、環境整えたりしようと決めたところ、

母が「私がお茶一式持っていくから気にしなくていいよ」と。

散々振り回されたところに、そう言ってきました。

 

親戚が来て、お祝いを戴き、親戚はお昼まで持ってきて、ふるまってくれました(でも食べられないもの多々)。
容器も使い捨てのものに入れて、洗う必要性のないもので。
親戚も産後の私を考えて、気を使ってくれていたのだと思います。
母は、お茶一式を持ってきて、とりあえずお湯だけ用意してと言われたからお湯を用意。
洗い物は家で洗うからと、使って一式をそのまま持って帰りました。

人に話せば、「気をつかってもらったんじゃない、良かったね」みたいな話で終わりそうですが、『何しに来るのかわからない恐怖』を数日前からさせられて気が気じゃない日を過ごしたのですが、それはわかる人にしかわからないと思います。

親戚がしてくれていることは善意です。
それはちゃんとわかっています。

ですが、母から『もてなせ、家の中をあちこち触られてもあちらの気遣いだから我慢しろ』と言われたのが前提であると、この善意を心の底から喜べなかったのです。
来なくていいです、関わってほしくないです。とそう思ってしまっていました。
そして、そう思う自分がいることの罪悪感。

その時は嫌であまり深く考えていなかったのですが、これ、母が間に入っているからややこしいとまとめていて気が付きました。

親戚は私の子供へお祝いを持ってきたわけです。
私は産後であまり動けないので、動ける範囲でもてなせばいいわけです。
親戚がこちらにとって都合の悪いことを善意でしようとするなら、私が私の責任でオブラートに包んで断ればいいわけです。
それでも文句をいうならそういう人なんだと思えばいいことです。

実家と実家の親戚は絶対的という母の考えを私に押し付け、私の領域にぐいぐい入り込み、私のことなのに、自分のことのようにふるまい、私の失敗は自分の失敗だと言わんばかりに、あれやこれややろうとする。
私との境界線が母にはなかったんだと思えます。

 

お土産一ついただいて、振り回されている母はたしかにかわいそうなのかもしれませんが、本人がそれでいいと思ってやっていて、私にそれを押し付けようとしてくるので、やっぱり逃げるしかありません。

母は人からの贈られる『気持ち』も私に押し付けてきます。
気持ちが籠っているものは、嫌だと思ってはいけない、人の気持ちを大事に出来ないのはとんでもない人間だと。
気持ちを大事にしていないつもりはこちらにはありません。
ですが、もっていられないものや、頂いて困るものもあります。
捨てるな、持っていろ、大事にしろなのです。
強制されることじゃないと思いますが、それが出来ないのは人じゃないみたいに罵られます。

そんな事ばかりされてきたので、その人がいらないものを贈ってしまった時の罪悪感がすごいです。
いらなかったら、即ゴミ箱でも本当に構わないですから、本当に構わないですからっ!
といつも思うんです。