『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

かじっただけの心理学

心理学から見た母と娘の関係について書かれた本を読んでみてから、少し考え方が落ち着いた気がします。

今までは、母が原因なのは分かっていつつも、とにかく距離をおくことばかり考えてました。

ボダなら、構わないのが1番の対処という知識からです。

ですが、私は今まで母の要求には答えられる範囲で答えてきたつもりで、それを全くしないというのは、今までには無いことです。
ですから、私がそうする事で母が何をするのかが未知で、それに対する恐怖がありましたし、今もあります。

知識として構わないのが1番の対処ですが、何故なのかは私の中ではスッキリしてない部分でもありました。

そんな時にたまたま読めた本で、
『母親は娘を否定する事でしかコミュニケーションをとれなくなっている』という言葉で、全てではないですがスッキリしました。

母の愚痴や嫌味やこき下ろしは、そういう手段でしか私と接する事が出来なくなっていると。

だから、それに反応すればするほど、それでしかコミュニケーションがとれない、そんな状態は母にとっても良いわけはなく、私が反応しない事でそれを絶つ事ができる。

母と距離を置く言い訳と言えば言い訳でしょう。
ですが、いまだに親と距離を置くことに罪悪感のある私には丁度良い言い訳でした。

自分のことだけではない、家族も巻き添えだから、そして母にも良くないことだからと増える事で、罪悪感を減らせます。

母から逃れるためには、母にされた嫌な思い出を反芻して忘れないようにする事だけかと思っていたのが、母にも良くないことと、母を僅かに思うことも出来るというのは、精神的にも落ち着けます。

ただ、愚痴や嫌味やこき下ろしでしかコミュニケーションがとれないというのは、『ボダを人と思ってはいけない』という言葉をも思い出します。
愚痴や嫌味やこき下ろしはマトモなコミュニケーションではありません。
むしろ、コミュニケーションじゃないですよね。

そのコミュニケーションですらないものに自分は答えてしまっていたわけです。

恨む気持ちがないわけではないし、許さないのか?と言われたら許さないと思いますが、出来る事なら、恨みや許す許さないとかそんなこと考えず、全く関わらずに生活出来たらというのが今の理想です。