『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

否定することの無意識での定着

否定をすることがコミュニケーションというのが無意識に定着してしまった母は、一時期から母自身もなかなか治すことの出来ない口癖が出来ました。

『ちがうの』『ちがうの、ちがうの、そうでなくて』

話をする際に枕詞のように『ちがうの』と言うようになってしまいました。
どんな話をしていても、正しくても間違っていても『ちがうの』と言うのです。

例えば

私「今日は少し肌寒いけれど、暖かくしてる?」
母「ちがうの、この服とっても暖かいし、冷えないようにもう一枚着ているよ」

私「あれ?模様替えしたの?雰囲気変わったね」
母「ちがうの、棚が邪魔だったから移動してみたんだけれど、おかしい?」
私「え、模様替えしたんだよね?」
母「ちがうの、ちょっと棚を動かしただけでね」
私「…ちがうの?」
母「ちがうの、ちがうの、ちがわないけれど」

もはやコントのようですが、本当に言うんですよ。
もう不自然なくらいに『ちがうの』と言います。

弟が実家に帰省した際に、『ちがうの』を聞いて弟も「何がちがうの?」と聞き返すくらいでした。

母を離れて心理学をかじる前の私には「おかしな口癖が出来てる」くらいにしか思っていませんでしたが、今思えば、結構深刻な口癖だったんですね。

家族とのコミュニケーションは『否定をすること』となってしまった母は、無意識でそういう言葉を口にするようになってしまったようです。

今、少し落ち着いて考えられるようになって、考え直してみたとしても、この口癖だけでも子供と会わせるのはアウトです。

子供と接するのに良いも悪いも全ての返答が「ちがうの」では困ります。

家族とのコミュニケーションと書いたには、外でどんな話をしているか私は見ているわけではないのでわからないからです。
ですが、母から話を聞く限りでは、基本的には『黙ってニコニコ聞いている』事が多いと推測しています。
何故かと言うと、私に愚痴を言う際に「Aさんはこういっていた、私はこう思った、貴方もそう思うでしょう?」と意見を求めるかのように、意見を押し付けてきます。
私はAさんではありませんから、私には関係なく、はっきり言ってしまえばどうでもいい話なわけです。
なので、時折「そうAさんに言ったの?言ったらいいんじゃない?私に話してもしょうがないよ?」と言うのですが、『言えない』『言えるわけない』『そうなんだけれど』と濁しながらも、話を続けます。

そういう話はAさんに言えばいいのですが、私に言うのです。
Aさんに直接言えないから、私に話すことでスッキリしようとしているようですが、結局のところスッキリしているようには見えません。

Aさんの前ではAさんのいいように黙ってニコニコ話を聞く。
Aさんに言えなかったストレスを私にひたすら聞かせて、『黙ってニコニコ話を聞く』事をさせようとする。
私は黙ってニコニコ話を聞きませんから、母はスッキリしない。

話がそれましたが、こういうことがあるので、外ではたぶん『ちがうの』という言葉はあまり出ないとは思います。
もしかしたら出ているかもしれませんが。

人を否定し続けるとこんな風になってしまうのですね。
私は、否定されるのも嫌ですし、母に否定をさせ続ける癖を治してもらうためにも、ひたすら逃走していきたいと思います。