『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

穏やかな日々とちょっとだけ対処のような事

従妹の叔母が私宛のお土産を母に預ける。

母からメール連絡がくるが「お土産を戴いたけどどうする?」というメールだったので「どういうつもりで預かったのか」と返すも意味が伝わらず放置。

「従妹の叔母に今日会うことになってる、お土産のことお礼言ったのか?言ってないのか?連絡してほしい」とメールが来るが、私は家族で朝から出かける予定だったことと、お礼のハガキを出しておいたので会えばわかるだろうと放置。

連絡無。

そんなこんなで穏やかな日々です。
平気になったのかといえばそうではないのですが、穏やかになり、離れていることで落ち着いて考えられるようになってきたと思います。

そうは言っても、着信アリで光った携帯を見ると内容を確認するまでは心臓がバクバクしますし、時折フラッシュバックのように思い出してギリギリしたりもします。

ですが、囚われているのは『無駄』でしかないので、出来る限り忘れて過ごしたいと心掛けてはいます。

が。

ですが。

私が奉仕タイプのアダルトチルドレンに分類されるのか、いらない余計なお世話をやいてしまうところが抜けきっていません。
人の問題は人の問題で、私が考えることではないのですが

八方塞がりなの?|夫の母が毒親でした↓

こちらを読んで、自分と重ね合わせてしまい、余計なお世話と思いつつもお邪魔させていただいておりました。

こちらの方はご主人のお母様が毒親だということで、ご主人が『行きたくない』と言いながらも毒親(直接ではない)の誘いを受け入れてしまっている話でした。

コメントがわかる人とわからない人でものの見事にはっきり分かれているんです。

『行きたくないなら行かなければいい、なのになぜ嫌なところへ行くのか?』
こちらのブログの方はそう思っていらっしゃって、それに同意される方。
『その気持ちわかる』という方々。

読んでいて泣きたくなりました。

ご主人がブログ主さんにされたのは『相談』にならずに『ただの愚痴』で終わってしまう過程のそのままです。
私が『はじめに - 『毒親』『人格障害』と思う実母から逃走中の娘(30代)』の例え話をさせていただいたそのままです。

行く行かない。するしないの問題じゃないのですが、第三者で被害に合った人であってもなかなかこの手の相談て気が付けないのです。

思わずコメントさせていただいたのですが、足らずな文でわかりにくかったかなぁと思うところです。

もし、身近に毒親で苦しんでいる方がいましたら参考になるでしょうか?
私は専門家ではないです、現実向き合っただけの人間です。
そして、第三者の見え方を垣間見て思っただけです。
人格障害の対処にも似ていると思うのですが、参考になれば参考にしてください。

 

親からの要求は『しなきゃいい』というシンプルな答えで収まりません。

どんなに嫌でも『要求に応えなければならない状況』はすでに何十年もかけて作られてしまっています。

この『作られた状況』は日常に溶け込んでいて、本人が『こんなこと続けていてはいけない!』と気が付いたとしてもなかなか抜け出せません。

朝起きて「おはよう」と言う。それくらいナチュラルに親の要求に対し「おはよう」と言うのと同じく『要求に応える』ように出来上がっています。

人格障害からの被害は同じように『要求に応えなければならない状況』が作られていて、それを断るとどうなるかわかるか?というのがちらついたりしますね。
これも『要求に応える』ように仕向けられています。それがされている側はだんだん自然になってしまって、『日常化』してしまうようです。

そんな状況ですから、まず自覚がなければ『しなきゃいい』はまず選択することはありませんし、選択しようとも考えられません。

どんなにそういう選択肢があるということを教えても、それを選びません。

それを考えること、選ぶことは、本人にとって『非日常』になります。

なので、どれだけ説明してもわかりません。さらには『しなきゃいい』というのは『日常』の否定で、親によって否定されなれている人間を、さらにまた否定することになります。

じゃあどうすりゃいいの?ってなりますが、専門家ではないので「こうすればいいよ!」とは気軽にはいえませんので、私はこうされたかった、もしくはされて落ち着いたという話をします。
なので、全ての人が当てはまるとは限りませんし。専門家に聞いた方が確実です。

まずは、本人が親がおかしいと本気で認めることが一番大事だと思います。
そして、認めることで湧き上がる罪悪感もありますから、それを軽くすることも忘れない。
本来はありもしない『罪』なのに、ありもしない罪悪感で押し潰れそうになります。

もし出来ましたら、「嫌だった」「辛かった」「したくなかった」そういう気持ちを『じゃあ、しなきゃいい』で片付けずに認めてあげてください。
どれだけ嫌か辛いかをわからなくていいですしわからないのが当たり前ですから、認めてあげてください。

『嫌だ』と思うことも否定されて認めてもらえなかったのですから、認めてあげてくれると、本人は少しは自分と向き合える、かもしれません。

そして、自分と向き合えるようになったかな?と言うところで、ようやく自分の『日常』がおかしいと思えるようになります。
でも、この段階でもまだ思えるようになる程度です。
そして、日常がひっくり返るわけですから、とても不安です。
私は話を聞いてもらったりして落ち着けました。

とにかく問題の親やそちら側の人とは一対一で向き合わせない。どうしても電話などで一対一ならば録音して記録を残す。
メールなどは、じっくり考えて一人で不安なら話を聞いてもらって、返す返さないを考える。

向き合わせたら引き戻されます。

そして要求に咄嗟に応えない。
「おはよう」と言われて「おはよう」と返す、そんな勢いで応えてはいけません。
相手もそういうものだと思って要求してきます。

応えないと、手を変え品を変え、要求を受けさせようとしてきます。
それにも動じずに咄嗟に応えない。

そんな急いでいる用事に付き合う必要があるのかも疑問ですし、そんな急用なんてそうありません。

何を要求されているのか、じっくり考える。
たいていどうでもいいことだったり、そんな大それた話ではありません。
それに、大それた話なら尚のこと咄嗟になんて答えてはいけないと思います。

私自身、『連絡が来たら連絡をしなければならない』と思い込んでいて、連絡をしなければならないことに悩んだことがあります。

第三者からすれば、『しなくていい連絡ならしなきゃいい』とみえるかもしれませんが、その答えにたどり着くまでが長い道のりでした。

そうやって、次はどうなるのかというと、
今はその過程です。すみません。ここまでです。
ですが、第三者の目線を少し落ち着いてみることは出来るようになってきました。

忘れてのんびりしたりすることも出来るようになってきましたし、今また連絡が来ても、震えながらであっても拒否することは出来そうです。

人のブログが気になってしまうくらいまだまだブレブレですが、なんとか逃走出来ていると思います。

これから逃げる人も、逃げはじめた人も、
そんな親もいた。大変だったけど、今充実してるから忘れていた。
と言えるようになるといいなぁと心の底から思います。