日常を選ぶことは楽をしている?(追記6/2)
毒親や人格障害からのおかしな要求の日常化。
私は以前、『したくないけれどしなければならない状況』をそれを選ぶことで楽をしていたと自分で思っていました。
ですが、心理学を少しかじっていくとそうでないようです。
親に保護されることで子供は生きることが成立します。
なので、親の保護がなくなるということは『死』に直結します。
自分は日常を続けることで楽をしていたと思っていたのですが、子供の頃に刷り込まれた『保護がなくなる恐怖』『死の恐怖』を継続していたということになるようです。
そう考えると、親からのどうでもいい要求すら断ることに手が震えたり、怯えたりしてしまう自分がいたことに納得できます。
ただ、日常をひっくり返して、非日常だったからだと思っていたのですが。
『死の恐怖』と同等であったのだとしたら、それはとんでもないストレスです。
楽を選んでいたとかいう気軽な話ではなくなります。
でも理解することで、もしかしたら恐怖を克服できるかもしれません。
次に母から連絡がきたら…
出来ればきてほしくないです。あまり確かめたくないです。
そんな恐怖感じたくありません。
下書きのつもりが公開してました。
ので、少しまとめて追記(15/6/2)です。
被害から逃げた時に起こること - ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ
こちらがとてもわかりやすくまとめていらっしゃいました。
ざっくり自分なりに考えてみたら
毒親の束縛もボーダーの束縛もどちらも
『自分がしなければ、してあげなければならないと思い込まされる』
『従わないことで今現在の生活の破綻』
毒親、ボーダーである親が自分の親と言う立場をそのまま使い、これを刷り込むことは容易いです。
親である場合、最初から子供の生存を握っているわけですから、『従わないことで今現在の生活の破綻』が発生しています。
そして、子供は親の愛情を欲します。その欲求を『自分がしなければ、してあげなければならない』とすり替えることはそんなに難しいことではないでしょう。
親がボーダーであると、色々と下準備も必要なくこういう状況が出来上がっているんですね。
というのがあるのですが、それを思い出しました。
もっとわかりやすく書いたものをどこかで見たのですが、見つけられずでしたので私解釈ですが。
犬に電流を流すが犬は自力では逃げられないようにする。
そうすると、途中から犬は逃げようということすらしなくなり、電流を受け入れる。
逃げられるように拘束を解いても、犬は逃げようとしない。
たとえ、ここにいれば電流が流れないと教える為に安全な場所を教えても『自分の力では出来ない』と学習してしまっているため、自ら安全な場所へ移動しようとしない。
こんな感じです。
第三者から見た目線は電流と犬とは関係のない場所で、安全な場所を知っている目線ですね。
安全な場所があるなら、逃げればいいし、逃げ方を教えているのに逃げようとしないのはなぜだろう?と。
ですが犬にしてみると、自分の力では敵わなかった、何をしても電流からは逃れられないと思い込んでいるわけです。安全な場所を教えても自分の力でそこへいけるとは思えない。
第三者が安全な場所まで犬を避難させても、犬はいつかまたくる電流におびえるわけです。
だから、犬が逃げることが出来るんだ、あそこが安全なんだ!と自分で動かなければ、その恐怖からは逃れられないということです。
犬が犬がって私はその犬の立場だったのですが、逃げることが出来るんだ!と思うことが出来たので逃げることが出来るようになりました。
『面倒だから』『楽だと思うから』だと思っていたのですが、親の保護による生存と学習性無気力感を踏まえると、やはり違うようです。