『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

可愛そうな母…なのかもしれないけれど、やっぱり同情できない

母の母、私の祖母も人格障害のケがあります。
祖母と話を思い出すと自己愛だと思われます。

とにかく良い話が多いのです。
謙虚に話してはいつつも、自慢話。
そして亡くなった祖父、祖母の夫の自慢話。

なので、覚えているのは、『祖母は頑張ったんだなぁ、すごいなぁ』『祖父、すごい人だったんだな。すごいなぁ』という子供の時の思った自分の感想です。

それなりに大きくなってからは『気軽に会ってはいけない』という暗黙のおかしなルールがあったため、あまり会いに行くこともなく、今に至ります。

たまに会う事があっても、必ず母が同行していて、私の言動に問題がないかを常にチェックされていました。

文字に起こすと変な話ですよね。
私は自分の祖母と話をするというだけなのに、どこぞのお偉いさんとお話を交わすかのような気持ちでいました。

今思えば、母はそうなるように祖母から刷り込まれていたわけです。

母の自分の幼少の頃の話はどこまで本当か定かではありません。
母が祖母から聞いた話も、どこまで本当か定かではありません。
母も祖母も、どちらも厄介なことに『思い込み』で『違う話』を普通にする人間です。

どれもこれも全くのありえなかった話かもしれません。

それすら、判断する材料は私にはありません。

一度、小さいころに親族で正月をホテルで過ごすイベントがありました。
一泊ではなく、数泊で、子供にしたら滅多にない不思議なイベントでした。

この際にちょっとした出来事ではあったのですが、『こんなことがあった』というのを祖母と母から、違う時間、違う場所で『同じ話』をされたのですが、

この話が全く『違う話』だったのです。

したことがしてないことになり、してないことがしたことになり、子供ながらにあまりに奇妙で何が本当で何が起きたのかさっぱりわからない。というかこの人たちは本当に同じ話をしたのか?と妙に覚えているのです。

しかも、このイベントだけにとどまらず、こういった現象は母方の親族が集まると、数回起こりました。

そして一度、私が話した言葉が、祖母は全く違う言葉として受け取り、それを母に伝え「なぜそんな嘘をいうのか」と責められたことがあります。
言っていないと言っても聞いてはもらえませんでした。
笑えもしない伝言ゲーム状態です。

なので、母も祖母もどちらが本当を言っているのか、どちらも思い込みなのかなんて私にはわかりようがありません。

聞き間違えと思い込み、自己愛のケのある祖母。
そんな祖母と血のつながりのない母。

たぶん、そんな楽しい生活じゃないことは想像できますし、きっと想像を絶する生活だったのだろうとは思います。

なので、母は自分が母親になった時には、『こんなことはしない』と思ったと何かの時に聞かされました。

ただ、母がやったことは『自分がしたかったことをさせ、されたくないことはしない』の押し付けです。

結果、私がよく聞いたのは「(母実家)家では、こんなことは許されなかった!」(それを許してもらえるのだから感謝しろ)「私の時はこうだったのだから」という言葉です。

してやっているという押し付けです。

私は今親と言う立場ですが、これを知っているのだから生かそうと思っています。

自分がされて良かった嫌だった。という基準もありますが、それをしたりしなかったりすることで押し付けにならないかを出来るだけ客観的に考える。ようにしています。

どんなに拒絶したい母であっても、間違ったことをしていなければそれを生かして実践する。
私の感情と子育てとは切り離してやっていけたらと考えてます。

今は調べるが簡単な環境で、情報量も多いです。
情報の良し悪しを決めるのは難しいですが、それでも多彩な意見を見ることが出来ます。

子供との向き合いは私の内側の気持ちとは関係ないので、どう接するかはじっくり考えていたりします。

たとえば、『褒める事』。
私はそういえば褒められてないな、だから褒めよう!ではなくて。
褒める事で得られる結果はどんなことがあるか、逆に否定され続けるとどうなるかを第三者の目でみたのを読んでみる。
そして、やっぱり褒める事、認めることは大事と再認識して、それからしてみる。

時間はかかりますが、私が毒親からもらった毒が子供にいかないようにするには、自覚と客観的な視点が大事なんだろうという自己判断でやってます。

子供はまだまだ3歳ですが、じっくり話せば通じるし、自分で考えて動こうという意思がはっきりしてて、このまま伸びていくように支えてあげたいです。

毒なんかを次の世代に残しちゃいけない。

もしかしたら同じ被害者なのかもしれないけれど、母はそれが出来なかった。
ずっと祖母の顔色を伺い続けていました。そしてそれを家族にもさせてきた。
それになにより、私をサンドバッグにしたのだから、同情は出来ないし、これ以上そんな状態を続けさせようとは思わない。

といいつつも、私も気が付けなければ母と同じになっていたかもしれない。
むしろ、なりかけていました。
今も抜け出せずにいたらと思うと、ゾッとします。

なので、頑張って逃走。同情なんかはやっぱりできません。