『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

親からの『同情』の強制

雪が溶け始めて、雪が溶けたからという理由で母から連絡が来るのではないかと不安が募っています。
こちらの方が更新されていて、本当に助けられています。

回避する思考、可能性の徹底排除。 - ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ


私の母は、母の話だけではなく、色々総合すると、たぶんこの方も人格障害のある方であろう母の母である私の祖母の被害者だと思います。

専門家ではないので推測の範囲ですが、母は加害者化した被害者です。

私もなりかけていたので、なんとなくですがわかるような気がしてしまうのです。
先ほど紹介したブログの方のところでも触れていましたが、被害者はボーダーの加害から身を守る為に、極力相手の機嫌を損なわないようにしようとしてしまう傾向にありますが、これが悪化すると加害者になります。

母は用事があって郵便局へ行きたいと思います。
ですが、それを車を運転できる私に頼みたいわけですが、『頼むのは悪いと思う』そうです。
なので、母は私にこう言います。

『出掛ける用事はないの?』

そして、私が出掛けるならば、『ついでに』連れて行ってもらえば『悪くはないだろう』と思うようです。

これは私が出掛けることが前提ならば成り立つ話です。
そして、頼む事に気が引けるのなら、自分でそっと行くのがボーダー被害者にあることです。
ですが、母の中では『頼むのは悪いけれど、ついでに連れて行ってもらうなら悪くないだろう』という構図が出来上がっているようでした。

なので、私がここで「出掛ける用事は特にない」と答えると『不正解』になるのです。
不機嫌になる可能性が高いのです。
そう気付けるほどに私はすでに共依存があったため、母が『出掛ける用事はないの?』と聞いてくるということは『出掛けたいのだけれど連れて行って』という意味として私が捉える癖がついてしまっています。

そのため、母が『出掛ける用事はないの?』というと当たり前のように
「どこか行きたいの?」と返してしまうのが日常になっていました。
ただ、「どこか行きたいの?」も母のシナリオと違うので不正解になるのですが…
なので、それを考えて出かける用事もないのに、出かける用事を作ってしまうこともありました。

そんなやり取りも不毛なので、私から「出掛けたいなら、最初からそう言って欲しい」と何度もお願いしたこともあります。
そうすると母は何故か『そういって私を責めるのは止めてほしい!』と言うのです。
無論、私は責めているつもりは全くありません。

そして、母は私に対して、そうやって責める酷い人間だというようなことを言ってくるのです。

何もわからなかった私はそれを真に受けて、自分はそんなに酷い人間なんだろうかと悩んだこともありました。

母にしてみれば、娘は自分よりも弱い立場の人間です。

母は自分が娘のことを気遣っているのに、娘はそれを受け入れないどころか、気遣いの足りなさを責めてくる、親と同じようなことをする!

とでも思っていたのでしょうか?
本人に聞かないとわからないことですが、言った本人もきっと忘れていると思います。

祖母、自分の親から散々されてきて、溜まった鬱憤を私にぶつけていただけなのは、今だからよくわかります。
ですが、当時は親が子にたいしてそんなことをするわけないと思っていたんです。
『親子だから分かり合える』という薄っぺらい言葉を信じていたわけです。
冷たい言い方だと思う方もいるかもしれませんが、親子といってもただの血縁、血のつながりだけです。
それが分かり合える理由になるのでしょうか?ならないと思います。
血のつながりがあろうが、なかろうが、近くにいて共同生活をしていると甘えがあったり、わかった気になってしまうことってないでしょうか?
全く違うところで聞いた話ですが『近ければ近いほど分かり合うのは難しい』という言葉を聞いた時にとても納得してしまいました。

近ければ近いほど、相手のことを自分勝手に思い込まずに、気遣いながら付き合わなければいけないのでしょう。これは確かに難しいことだと思います。

母はこれとはほぼ真逆でした。
私の思考や感情まで否定し、なぜ母が思っているように思わないのかと押し付けられました。
そして、自分が親から受けてきたことをしたくないと言いながらも、全く同じことをしているのです。
さらには、何故か同じことを散々しておきながら途中で止めて、
『私もこんなことを親にされて辛かった、だからもうやめる』といい、
この時はいつもは耳をふさぎたくなるくらいに謝罪を繰り返す母が一言も謝りもしません。
私が散々されたことに対して文句を言うと、『もうやめるといったでしょう!』と逆ギレ。

こんなことの繰り返しをしても、『親子なんだから分かり合える』と諦めきれずにいたところがありました。
まるで呪いです。

母は自分の親に辛いことをされてきたのかもしれません。

ですが、私にはそれは関係ありません。

冷たい言い方かもしれませんが、関係ありません。

それを、『こんなことをされて嫌だった、あんなことをされて辛かった』と母が一方的に私に話し、
『話したのだから、知っている。知っているのに私にこんなことをするのか?』
と私に同情の強制です。

私は、母に対して『同情』していたようです。

一方的に話しておいて、それをするなと強制するのは、親子ならしていいのでしょうか?
そんな馬鹿な話があっていいとは思いません。

母が親にされてきて辛かったかもしれませんが、それは私とは関係ありません。
その話を聞き、同情するかどうかは私であって、同情を強制するものではないです。
ましてや、子供に同情してもらおうとする親という時点で、すでにおかしい。
親が、子供に親を求めても、子である私にはどうすることも出来ないのです。

まだ、少ししか調べてないのですが、母も私も『アダルトチルドレン』なのだと思います。

もう、母を許す許さないという話ではなくなっています。
ひたすらに、関わりたくないだけなんです。

『逃げるな!向き合え!』という話がドラマや小説とかでみかけますが…現実は『逃げろ!向き合うな!』とは思いませんでした。
母はよく『逃げるな!向き合え!』のような事言ってました。
ボーダーの人も逃げるな!って言ってくるようですよね。
冗談じゃありません。逃げます。