『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

少し掘り下げた続きの話(スタートライン)

なんだかんだと、それなりに時間がたってしまったのでだいぶ忘れておりました。
ですが、覚えている強烈な断片と、このスタートラインを期に愚痴ではなく、記録というには立派ではない殴り書きのノートがありましたので、それを元にしております。

それは『もう来ないでほしい』という言葉をもらう前日に、メールで「整体をしばらくお休みします、今までありがとうございました」と届いていました。
私は『また、いつものこと』と思い、「忙しいのですね、了解しました。あと明日届け物をしたいのでいいですか?」という出来る限りさしあたりのないつもりで返事を返しました。

この届け物は母の頼まれものでした。

次の日、スタートラインの日に届け物をしに、子供と一緒に実家へ立ち寄りました。

『子供も一緒にいるというのに、大泣きしたり、怒ったり、謝りだしたりと滅茶苦茶な状態』

と記録しておりました。

子供に対し、「もうしばらく会えないね」と言い泣き出しから始まり、
「折り紙をしたり、○○(忘れました)をしたり、もっと一緒に遊びたかった」
「悲しいけれど、それは他の子とするね」
「次会えるのは、いくつだろう?中学生かしら?」
など言い始めました。

私には
「もう来てもらわなくても結構です。来ないでください」から始まり
「明日来ると思ったら、孫に会える喜びと同時に体が震えて眠れなくなるの」
「(整体を)止めるから、体悪くなるかもしれない。でも仕方ないよね。それよりも来てもらう方がずっと辛いもの」
「あなたが来るたびに怒っているのが耐えられない」
「あれはさせるな、これは駄目だと、どう接していいかわからない」
「他の人に聞いたら、そんな難しいことはないとうまくやっているのに、どうしてあなただとだめなの?」
「私のことは気にしなくて結構です。色々頼むことが出来る人がいるのだから、気にしないで」

とそんなようなことを言われました。

この時に私は

またいつものかな。それにしても私にはいいとして、どうして子供まで巻き込むのか?

共依存らしいことを思ってしまい、私はここで妥協という間違った選択をしてしまいました。
この時、特に子供への接し方に問題ありの父親に対しての拒絶の方が強かったため、

どうして来てはいけないの?
盆正月も来てはいけないの?
私は、父に会わせるのが落ち着かないだけだから、母ならいいのだけれど。
折り紙でも一緒にしてあげて、一緒にいっぱい遊んでほしい。
私は父に会わせないのなら、それならイライラもしないと思うから。

そんなようなことを返してしまいました。
たぶん、これが母の望んでいる答えではないか?そう判断して母に合わせて答えたのです。

母にとって、それはほぼ満点に近い回答だったようです。
ですが、満点ではありませんでした。

その時は、母は目に見えてわかるほどにみるみる機嫌を持ち直し、その時は『父に会わせない条件』をすんなり飲み込んで、快く帰り道を見送ってくれました。

ちなみに私はこの段階で、おかしいとは感じておりません。
改めて自分で読み返すと、複雑な気持ちになりますが、誰がみても母のとった行動はおかしい行動だと思えるのではないでしょうか?
ですが、私はおかしいと感じていないのです。

このスタートラインの日に「もうしばらく会えないから」と言って押し付けられた早すぎる子供へのクリスマスプレゼントの服がありました。
私の好みではないものでしたが、子供は気に入ったらしくとても喜んでおりました。

次の日に、上機嫌のメールが届きました。
贈ったクリスマスプレゼントの服はどうだろうか?というのです。
母は贈ったものの感想を必ず求めてきます。
まだ着させてはいなかったけれど、子供はとても気に入っている旨を送ると機嫌よく電話がかかってきました。とくにおかしな様子もなく、機嫌よく電話を終え、私もサービスをし写メを送り、その写メに珍しく丁寧な返信が来ていたこと以外は、普通のやり取りで終わりました。

ですが、5日後に電話がかかってきました。
『こちら(実家近く)へ来ることはないか? 来るのならばついでに郵便局へ連れて行ってほしい』
ということからそれは始まりました。

蛇足ですが、母は滅多に直接頼むことはありません。
何事も『ついで』で頼もうとします。
なので、

用事がないか?
いつ行くの?
どこへ行くの?
急いでいるの?

など話が回りくどく、何が言いたいのかを聞くと、用事がある、欲しいものがあるからついでに…というのです。
いつも返って面倒だと思っていました。
はっきり言って欲しいというと、「だって悪いと思って」と返されます。
私や弟は、返って分かりにくくて面倒だから、悪いからと強く返したりもしました。
これは、相手を気遣うというよりも、ついでならば『断りにくくなる』という含みがあったのだと今なら思います。

少し長くなったので、5日後はまた続きとして書こうと思います。