『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

一口に毒親といっても

堰を切ったようにすごい勢いで書いてますが、それだけ溜め込んでいたんだと。
一度ノートにチラ裏として書き捨てていたことがありましたが、やはり誰かが見ているのかもしれないという環境で書くのは違いますね。

思い上がりだと思いつつも、同じように苦しみ、自己嫌悪し、親を嫌いになれず、出口のない日々を送っている人がいること。
逃げていいし、嫌ってもいい、自分を大事にしてもいいということ。
気が付いてくれたらどんなにいいのだろうと願ってやみません。

あと、毒親で検索をかけると目立つのが暴力をふるう親。

自分は暴力は受けてません。
なのに親を毒親だと思うのは、もしかして生ぬるく甘えてるんじゃないかと思いもしました。
でも、暴力だけが毒ではないです。

暴力も辛いけど暴力がなくても辛い。
そんなことたくさんありますよ!

ただ。境界性人格障害とずっと付き合っていくと、付き合っている方もそうなってしまうことがあるそうです。
私はたぶんなっていました。

母との関係に悩み、色々な人に聞いてもらいました。

聞いてくれるんです。
今まで母には聞いてももらえなかった言葉を聞いてもらえるんです。
大変だねと言ってもらえるんです。

私を見てくれている認めてくれている。
でも、本当に見てほしい相手は母であることに気が付かない。
気が付かないし、母のように見てくれなくなるかもしれない。
だから、相手を試す。

って、ちょっとまて、境界性人格障害だよね、これ?

どこまで自分の話をしても大丈夫だろうか?
ここまで話す、さらに話す、逃げないで、聞いて。貴方なら聞いてくれるますよね?

おーい、帰ってこーい。そういいたくなるくらい出来上がってます。
こうやって境界性人格障害によってもう一人の境界性人格障害の出来上がりです。

って出来上がっちゃ困ります。
そのケは今でもあるかもしれないと自覚はしますが、戻ってこれているとも思います。
でも、迷惑をかけた人がいることも確かです。

これは私のパターンだから色々なケースがあると思うんです。
頻繁に役立たずと言われこき下ろされてますから、自分は駄目な人間だと常に思い、自殺願望もありましたし、自傷行為もしてました。
母とのことと合わない仕事との板挟みで適応障害にもなりました。
縁があり旦那と出会い、引っ張り上げてもらったんだと、旦那には感謝してもしきれなかったりします。
怪しげな民間療法でしたが、適応障害からのうつ状態からも助けられて、なんとか戻ってこれました。
ちなみに母はこれを母の努力で私が回復したと思っているようで、事あるごとにこの時自分がどんなに辛く苦しかったか、精神科の先生に鬼のような親という扱いをうけて酷く辛い思いをしたとなじられます。
これはうつ状態の時の感覚を思い起こさせられるので、けっこうくるものがあるから本当に止めてほしいといつも思っていました。
子供が病んでいた時の自分がどんだけ苦しかったかをその子供にいうかな?
鬼のような親だよ、全く。
そう思ってやり過ごしてました。

色々抜けましたが、共依存だけは残り続けていたことに全く気付いてもいませんでした。

気づいたのだからさっくり何とかしたいです。
したいんじゃない、しよう!

気軽に書いてますが、実はけっこう必死です。
母とのやりとりは震えたり、鼓動が早くなったり、平常でいられない状態です。
それでも、今の家庭を守るためには一歩も引かないつもりでいます。

もしこれが、私の被害妄想で、母は普通に図々しいだけの人で、私が突然拒絶をし変な子だなぁと距離を置いてくれるなら、それはそれで関わらずにいれるから、酷い娘になろう、そうしよう。

母が毒だろうがそうでなかろうが、私の被害妄想だろうが、相手は子供の苦しみを自分の苦しみにすり替える鬼だし。