『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

押し付けられる感情

私は専門家ではないので判断はできません。
なので全てのボーダーがそうでありませんし、ボーダーでなくてもそういう方がいるかもしれません。

自分が思うことは相手も同じ、とくにターゲットは同じように思う、いや思え。

母は感情をぶつけることもありましたが、それ以上に嫌悪したのは感情の押し付けです。

「なぜ○○だと思わないの?」

思わないものは思わないし、怒られて思いを変える程度の考えなんてどうかと私は思うのですが、母はそう思わないらしく、自分と同じように思わないのは、『娘がわざと違う事を言い自分を困らせている』と解釈していたようです。
そう解釈してしまうと、もうそうとしか思えないみたいで、私が同じ意見だと認めるまで必要に責められます。
それはある程度年齢が達してからではなく、幼児の頃から当たり前にありました。
小さい子供の思考は単純だとでも思われていたのかな?とも考えたのですが、今もまだ続いていましたので、そういう人なんだと思います。

母がいつも自分の意見と同じでなければいけないのかというと、そういうわけでもありません。
娘には理解できないとそう解釈した場合は、貴方にはこれがわからないのね。となります。
その時の母はこの価値が理解できる自分、理解できない娘となり、私があとから同じ意見になったとしても、理解できていない、もしくは理解するのが遅いとなるようです。

そのくせ、自分はというと、私が良いと思ったりそう思ったものを見せたりすると、鼻で笑ってバカにしたり、それは貴方の好きならいいんじゃないと、と少し離れた意見を返されます。

何か贈ってもいいと思ってもそんなに喜びはしません。ちょっとは喜んで見せてはくれますが、すぐ終わります。

この程度なら、被害妄想だと思われるかもしれないし、そうだといえばそうなのかもしれません。

特に連絡のなかった弟からの誕生日プレゼントが届いた時は、涙を流して大喜びしてました。
私はその時、前々から欲しいものを聞き、少し無理をした私からの贈り物を渡して対して時間もたっていなかったと思います。
その大袈裟なくらいの感動する姿に引きつつも、思わず私のはいらなかったのか?と聞いてしまうくらいに大喜びし、何かではなく気持ちが嬉しいのだとか、なんて優しい子なんだろうとか熱く語られましたが、私の気持ちは関係なさそうでした。
むしろ、この気持ちは親にしかわからない、貴方にはまだわからないだろうと言わんばかりです。
プライズに感動したのかもしれません。
私にしたらその感動は別の誰かに話してほしいところです。
息子からもらったプレゼントが嬉しい!
何故先ほど贈り物をしたばかりの私に話すのでしょう。
ただの知り合いなら、二度と何かを贈りたいとは思わなかったでしょう。
目の前にいたのが母親だと思ったから、何とも言えない嫌な気持ちを一人で飲み込んでいました。
もしかしたら被害妄想かもしれない。喜んでいるから別にいいんじゃないかなとか。
私は母のように気持ちを押し付けることは嫌だったので、欲しいと言っていたものを贈ってもそれ以上に嬉しいことがあったなら仕方ないくらいに思っていました。

私の感情や価値観は母のものではない。
かなり小さいころからそんなようなことを漠然と思い続けて過ごしていました。
それでも、母親と感情や価値観を共有したいとも思うこともありました。
そんなところをぐるぐる行き来して、出口はそれらすべてに背を向けて逃走だとは思いもしませんでした。

あと、自分のルールを強制するというのもあります。それはまた今度に。