『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

ボーダーの特徴の類似点一部

そうだ、ブログを書こう!と思う前の情報量はそんなに多くはありませんでした。
本当に思い付きでブログを書いたので、タイトルも『逃亡』から『逃走』に変更しました。
逃亡は逃げて身を隠すという意味で、逃走はひたすら逃げるという意味だそうです。
私の場合は身を隠せておりませんので、変更しました。
実は生活圏が母と被っているものですから、まだ、距離を置いてからは会っていませんが、買い物などで会う事もあります。

ここを書きつつも、あちこちでボーダーの被害にあってしまわれた人の話を少しづつ読ませていただいております。
共感することもあれば、そんなに酷くはないかもしれないとか、恐ろしいと心底思う事やらでした。



事あるごとに、多用する「違う」という言葉。
私の母の場合、自分でも口癖になってしまったと自覚はありつつも、会話の頭は話がつながっていようがなかろうが「違う、違う、そうでなくて、」から始まります。
何が違うの?と何度も聞いたことがあるくらいに多用してました。

少しでも意見を言えば「そうやって自分がなんでも正しいとでも思っているのか?」
感情的になっているときはよく言われました。
正しいとか正しくないではなく、自分の思ったことを言っただけです。
正しいも正しくないもありません。意見を交わさなければ話が出来ないと思っているから私は言います。
それすら良くないこととされ、こういった言葉で押し付けられました。

他にもありましたが、この二つはボーダーでは共通しているところがあるようです。

あと、母だけがそうなのか、ボーダーだからなのかわかりませんが。
前にも書いていてかぶったら申し訳ありません。

母は止めません。
たとえば、スポーツをやりたい!と私が言うと母は止めません。
やることにあまり反対しません、それについてかかる費用も出してくれます。

ここまでは一般的かもしれません。

とある教材がほしい!
私の子供の頃の話なので今は違うかもしれませんが、子供の教材は子供が欲しがるような魅力が多いです。
そういうのをちらつかせて、親にどうですか?というわけです。
高額で月々のローンだったりするものなどもあります。

人それぞれ意見はあると思います。
それこそ、私の意見が正しいわけではありません。

この高額な教材。子供には家の家計のことなど知るわけもないので、欲しいとねだります。
親ならば、家の家計を考えながら、払えるか払えないか考える…と思うのですが、子供である、私に決定権を与えるのです。
そして、教材をうまく使えなかったり、飽きた時に、あれを払うためにどれだけ苦労したか!お金を捨てたようなものだ!貴方がちゃんとやるといったから買ったというのに!と怒られることが多くありました。
子供なので、家計まではわかりません

教材をうまく使えない私が悪いのはもちろんです。
私は本当に悪いとは思っています。
思ったうえで、第三者になれないですが、なれない目線ながらも考えてみました。

それだけの高額なものを購入したのなら、なぜ与えるだけで使うように促したりしないのか?
購入の時点で、子供に決定権を与えず、親が考え、本当に使うのか使えるのかを考えるものではないか?
子供が目の前のものが欲しいと思ったら、「やれるの?」と聞いたところでやれると答えると思います。
やれないから、無理ですというなら、そもそも欲しがりません。

私が言いたいのは、決定権を子供に委ねて、責任逃れしているように思えたのです。
それを、私だけでなく父にもしていたように思います。
母から聞いた父は湯水のようにお金を使う人でした。
でも計算はとてもできる人だと言います。
ならば、今の家計の中身を見せて、そんなに使えないことを示せばいいだけだと思います。
ですから、私には母の話を聞きつつも、なぜ湯水のように使わせているのかが理解できませんでした。
そのことを聞くと、「あとから私が止めたせいだと言われるのが嫌だ、全部私のせいにされる」と言っていました。

そうなのでしょうか?

止めたせいもなにも、お金はあるだけしかありません。
ないものはないのだから、母のせいにする理由が父にあるとは思えません。
もし、そんな言いがかりをいっているなら、父は無茶苦茶な人です。

私は、母に刷り込まれたのもあり、父は無茶苦茶な人だと思っていました。

今は、そうなのかわかりません。

思い出すと色々と腑に落ちないことがあるので、実は違うのではないかと思うようになってきています。

少し長くなってしまいましたが、
責任を持とうとしない。自分は悪くないという立場にいたい。
というのもボーダーの特徴の一つなのではないか、やり方は色々だけれど決定権を譲り、止めないというのは母の特徴でした。

追記
後から何か違和感があり、教材についてのたとえ話を思い返していたところ、気が付いた点があるので追記です。

教材を買う決定権を子供にし、教材を使わなかった時に、やれると約束していたのにやらないことを非難。これは非難されて当たり前だと思います。
使うから欲しいと言って、使わないのですから当然です。
問題はここからです。

どれだけかかった思っている?あなたにどれだけつぎ込んでも無駄だ。
いつもそうだ。何をやっても無駄にする。

私の違和感はこれでした。
これは個人的な意見として、事実であっても私は自分の子供には言いたくないです。
これは親の台詞だろうか?でも記憶にはこういった台詞を幾度となく聞いています。
それを聞いた私は、無駄にしてはいけない、かけられた分以上に返さなくてはという気持ちを持っていたような気がします。
たぶん、言った本人は忘れていると思います。
子供の記憶なので私も曖昧です。
言ってない、そんなことは言ってないと言われ続けたら言われてない気がすると思います。