『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

弟とさらに三日後の母。

少し時間が空いてしまいましたが、始まりの詳細の続きです。

電話が来た日に、もう色々と駄目かもしれないと思い、実家から遠く県外にいる弟に連絡を入れておきました。

『父の面倒は最初から見る気はありませんでしたが、母ももう無理です』

そう送ったところ、弟には『面倒を見る』という事の意味が伝わらなかったのか、
『面倒を見ようと思わなければいいのでは?難しく考えすぎではないか?』
『今は子供が小さいのだから子育てに集中したらどうか』
というような返信が届きました。

父は年金暮らし。母ももうすぐ年金を貰う年です。
もう、いつ何が起こってもおかしくない年齢です。近い年齢の知り合いとも介護についての話も話題に上がったりもします。

何かあれば子供である私たちが動かなければならないと思っていました。
(本当にそうなのかは調べてみると微妙に違うようです)
私がそう思い込んでいただけなのか、弟には最初からそんな意識はないのかわかりません。

そして、よくわからないけれどというので、こういうことがあったと文字で伝えたわけですが、私の伝え方が悪かったのか、弟にはどうでもいいことだったのか

『だからなに?』

という内容の返事。
最初に送った通り、私は面倒は一切みれませんと返しましたが

『子供は近くで見てるのだから、そういうことをしたら自分に返ってくるよ』と返事が。

この返事には怒りを感じました。
過去に、弟の行動で母が張り切りそのために散々振り回されてきたことも思い出しました。

弟が帰省する際に、『上司に日本酒好きがいるのだけれど、お土産にしたいけれどいいのはないだろうか?』という弟の話に、母が張り切り私を呼び出して片道2時間以上もかかる海沿いの道を走る羽目になったことがあります。
なぜ結婚して家を出ている私が呼び出され、たかがお土産の為に酒屋まで走らなければならなかったのか、今思っても嫌になります。

他にも色々あり、それらを思い出し色々考え、私と弟の母からの扱いが違い、明らかに違いがあったことを実感しました。
そして、弟も母と一緒になり、私を見下した態度をとってきたことも思い出しました。

少し前の弟の結婚騒動にも巻き込まれたばかりです。
その際も、母が浮足立っているので、少しでも弟やお嫁さんに悪くないよう、こまめに連絡を入れても弟からは鬱陶しがられもし、母からは近くに子供がいるというのに、弟のことでの八つ当たりをあびせられていました。

 

行くのを断った日の次の日。
電話が来て、弟に連絡して3日後のことです。
私の体調も悪く、ぼんやりしていたところに、また母から電話が来ました。

少しだけは調べつつも、まだ対策を考えきれていない私は、ここでも律儀に電話に出ました。

最初は毎年頼んでいたこの時期の食べ物を頼んだから、届いたら連絡するという差しさわりのない話から始まり、毎回私が頼まれていた私の家の近くの農家から直接購入していたものは、雪の都合で難しいと最近話していたことを出してきて、スーパーで買うからいいよという話をし始め

(ちなみに農家さんの連絡先は教えてあり、農家さんも配達範囲内なので直接連絡くださいと言っているのに、農家さんに悪いからと私に頼み続けていた)

スーパーで買うと言っているのに、スーパーのは薬臭くて嫌だとか文句を言い始めたりもしていました。
私が「なんとか届けるよ」という言葉を言うのを待っていたようです。

それと、自分の体の調子が悪い話。
「調子が悪いけれど、自分でなんとかするから、大丈夫だから」
ここでも私がどうにか整体をする時間を作ってあげるよという言葉を待っていたのだと思います。
すると、何故か自分の体は自分で何とかしようと思う、何かあっても大丈夫なようにしておこうと思う。身の回りも片付けている、でもあなたにもいざという時は頼みたいことがあるのだけれど。と言い始めました。

私は、自分の体を自分で何とかするのは当たり前なことだと思います。
それをわざわざ言い、こうしようと思う、ああしようと思う、心配など何もいらない。と私に宣言するのか、この時は何を言っているんだろうぐらいにしか思っていませんでしたが、母がボダなら突き放しと試し行動をしていたのかもしれません。

そんなことも知らずに、『頼みたいこと』に対して「私は今は育児中だから、出来ることは限られているけれど限られている範囲で出来るだけのことはするね」と答えました。

どうやら、母の欲しい答えではなかったようです。
「それなら何もしなくてもいい、忙しいのに悪かったね、他の人に頼むから、何もしなくていい!」
と声を荒げられました。
それに対して、何をするの?と聞いても、何もしなくていいとしか言いません。

私の答えはそんなにおかしいのでしょうか?
何をするのかを言われずに、私は今ある現状を伝えてそれでも出来ることならすると答えたのですが、間違っているのでしょうか?

と、母がふと声を和らげ嬉々として言ってきたのです。
「どうしてこんな事になったのか、考えてみたの。お互いが我が侭だったと思うのよ!そうでしょ?」
「叔父さん(母の兄)と少し話をしたのだけれど、親子だから思わず出てしまう我が侭がある。お互い我儘なんじゃないかって?そういわれて、そうだなって思ったの。そう思うでしょ?お互い我が侭だったのよ」

これはもう、母が考えたのじゃなくて、叔父に言われてその気になっただけだろうと呆れましたし、私は子供のことに危機感を覚えての行動で、それを『我が侭』だとは微塵も思いません。

少しだけ毒親について調べていて、はっきりと自分の意見を言うことも大事というのを読んだので実践してみました。

「お母さんはそう思うかもしれないけれど、私はそう思わない」

その次の瞬間、母が声を荒げました。
後から思えば、母がボダなら、ボダは否定されることも大好物でした。
この時は、まだボダという言葉すら知らなかったのです。

「アンタは、昔からそうだよね。そう素直じゃないのだから!」

前に書いた『押し付けられる感情』『私を否定する母』に書いた通りです。
母が思っている通りのことを思わなければ、『私は素直ではなく思ってもいないことを口にして反抗している』という扱いになるのです。

毒親対処で、昔から思っていることを思い切って親にぶつけてみるというのを思い出したので、この時は、『昔から』という言葉に反応して思い切ってはっきり言ってみました。

昔からそうやって私の話を聞かないよね?
私は素直に言っているだけだよ。思っていないことは思っていないし、母がどう思おうと私は同じには思えない。
意見の違いがあっての話し合いだと思う。

母はというと「叔父さんの言った言葉だよ?叔父さんの言葉を信じられないの?」

と的外れなことを言ってきたので、
『私は叔父とは話していないから、どんなことを言ったのかもわからない。わからないものを信じる信じないもない』と返すと、繰り返し何故信じられないのか?というので、
『どんな話をしたのか、その場にいないのでわからない、わからないものには同意できない』
と何度も繰り返し返しました。

母の話はずれにずれ、的外れなことばかりを言うような内容になっていきました。

母は、自分の夫婦仲が悪いのも良くない、体が悪いのは自分でなんとかする、借金が不安だ、等だらだらといい、「こういうことは今後は自分の胸に秘めておきます」と最後に宣言されました。

思わず、私は「そう言いながら言っているじゃない。ただ私をはけ口にしているだけでしょう?」

そういうと、いつものように謝罪をし始め、もう言わない、もう言わないで我慢しますからごめんなさい。とひたすら繰り返すだけ。

この後どんな風に電話を切ったのか忘れてしました。
いつもと違い私は言いたいことをいった感じと、いつものように嫌な感じと、入り混じった電話は一時間以上もかかり、その間、黙って待っていた子供には悪いことをしたと後悔を強く感じました。

そして、やはり母は何かおかしいのだと私の中で強く思いました。