『毒親』『人格障害』と思える実母から逃走中の娘(30代)

専門家でもなければ、専門家から診断されたわけでもありませんので、『思う』実母から逃走中の私の話です。

年初めの挨拶は決別の決心へ

怒涛の着信の日が終わりましたが、人によっては

本当に怒涛だと思える人もいれば
それくらい普通だと思うという人もいると思います。

私が怒涛と感じたのは、元々私が連絡があればすぐに返し、母が短時間に何度も連絡を入れるという行為をする必要がなかったため、そういう一面は見たことがありませんでした。

短時間に大量の着信履歴で埋める行為をするような人の存在というのは、実際にいるとしても遠い噂話程度だと思っていたのです。
自分には合わない母だと思っていましたが、まさかその母がこういった行為をする人だとは思っていませんでした。
なので、初めて目の当たりにした私にとっては『怒涛』でした。

私も急ぎ連絡を入れたいときは、何度か連絡したこともあります。
ですが、今回の母に関しては特に用があるわけでもありません。
むしろ、むしゃくしゃした気持ちを鎮めるために連絡をしてきたとしか思えないような内容でした。

言っている内容も一方的でこちらの話を聞こうともしない。
なのに、『これでは話し合いにならないから、ちゃんと会って話し合いをしなければ!』と母がいい、無理と断れば、『貴方に休んでほしいだけなの』と別人のような対応。

私はまだまだこの時も「決別しよう」ではなく「距離を置いた付き合いにしよう」程度にしか思っていませんでした。

なので、正月はいつものように挨拶に行く予定を入れました。
あと、母の刷り込みがすっかり効いていたので『双方の親に差をつけるようなことをしてはいけない』と言う言葉もあって、旦那の実家に伺うなら、自分の実家にも顔を出さなければいけないと思い込んでいたところもあります。
双方の親に差をつけるようなことをしないというのは確かに一理あると思いますが、臨機応変が一番だと今では思っています。

正月へ顔を出す前に、母は数回連絡を入れてきました。

いつものを買っておきました。
父が孫へのクリスマスプレゼントを用意しています。
正月は何時ごろきますか

程度の連絡が入っていました。
父からのプレゼントに関しては、生ものでも困るので、何かを聞き返しましたが、母を通して話していてもしょうがないと思ったので、普段は連絡など全くしない父にも聞いてみることにしました。
その際、母が私に来ないでほしいと言ったことも添えてみました。

正直な話、どうなるかと少しだけ意地の悪い気持ちになりました。
酷い娘でしょうけれど、私はこの事実を隠して我慢すべきではないと思ったのです。

結果はどうにもならず、父からは人の良さそうな「お母さんは貴方のことを気遣って来るなといっただけですよ、たまには顔をみせにきてください」という感じの内容が返ってきました。
母がおかしいなどとは微塵も思っていなさそうなので、私がどうにかすることではないと思い、それ以上は連絡しておりません。

弟も、かなり前に自分がターゲットだと気が付いたあたりで、「私にだけのようですから貴方には影響はないと思うよ」というお節介とも親切ともいえない連絡をしておきましたが、『家族なんだから、仲良くね』という的外れな返信が返ってきていたので、こちらもどうにかする気はありません。

その「家族なんだから仲良くの家族」に、今の家族を壊されそうで必死なのです。

正月を迎え、旦那の実家にも挨拶が終わり、私の実家に挨拶に行く日になりました。
行く途中、車の中で体が震え、心臓の音が大きく聞こえます。
拒絶反応がしっかり出ていました。

ここからは、『はじまりについての新年スタート』とかぶるところもあります。

実家に着くと、父が除雪作業をしており、挨拶もそこそこに家に入ると、母がいて新年の挨拶もそこそこに、町内の当番の人が除雪をしないという愚痴をひたすら言い始め、私が話に乗らずにいると不満げに台所へ消えていき、そのあとすぐに父が戻ってきて同じ話をし始めました。

こんな新年スタート、もう帰りたい気持ちでいっぱいでした。

ただ、父は町内の当番の人の除雪の話を嫌がっていると、察したらしく雪が多い、交通機関がストップした天候の話を世間話程度に話していました。
父にも色々問題があります。
この時は、いい意味で話をそらして別の話をしてくれましたが、事なかれ主義のようなところがあります。
この場合、事なかれ主義の使い方が正しいかはわからないのですが、
解決してもしなくても、なかったことにしてしまう、してほしいという父です。

この後、母と私が言った言わないの話をしている際にも仲裁にはいり、
『そんな事は、聞き間違いじゃないか、もういいじゃないか、終わったことだろう』と解決もしないまま、話も意見も聞かずに無理矢理な仲裁を行いました。

そういう人のようです。目の前の争いは確かに嫌でしょう。
ですが、根本的に解決しないで蓋を閉じれば、燻って禍根を残してしまいます。

しかも、この時の私は「もうこんなことをしないでほしい」と話したかったのですが、出来ませんでした。
今思えば、出来たとしてもあまり効果がないと今ではわかっているので、どっちに転んでも変わらなかったのかもしれませんが。

この事なかれは、子供にも影響するので心配していました。

子供が笑って楽しくしていれば、父はそれでいいようです。
子供が悪いことをしようがいいことをしようが、機嫌を損ねずにいればいいという感じで接するので、それが私には嫌なことでした。
子供にはいいことだとは思えないのです。

途中、母がさりげなく私を卑下したり、母が内服しているであろう薬を見えるところにわざと置かれたり、散骨パンフレットがわざとらしく置かれていたり、私の子供に対する対応が気に入らないのか、ひどく嫌な顔をしたり…

早く帰りたいとしか思えない時間が続きました。

帰り際に、母のスイッチが入ったかのように、お願いがあるのと『お願い事』という買い出し内容を一気に言われました。
私が来なくなるというのはなんとなくわかっていたのでしょう。
だから、お願い事をしてきたのだと思います。
来てもらうための口実と、消耗品の補充が出来たら母としては一石二鳥です。

私は了解せずに考えておくとその場は返しました。
でも、その返し方は良くありませんでした。
きっぱり断るのが怖く「雪が多いから」と雪のせいにしてしまったので、母は雪さえなくなればいいと思ったようです。

帰宅後、追い打ちをかけるように改めてお願い事のメールをしてきました。
面倒だからとメール嫌いの母が事細かに長い文章でのメールでした。
あまりにいっぺんに言われても、全部はすぐには調べられないと返事を保留にしたら、『ごめんなさい。雪がとけるまで、いいです、なんとかがんばります』という雪が解けるまで我慢してあげるわという意味のメールが返ってきました。
消耗品がなくなるのに、頑張るも何もないと思うのですが、私には『雪が解けるまで私は耐えるのだから、やってくれるよね?』という風にみえてしまいます。
なので、この放置は良くないと判断し、断りのメールをいれました。
自分で購入する手段を見つけるよう、それが無理でどうしてもというのなら、たぶん巻き込みたくないであろう弟にも協力してもらうという内容を返しました。

このメールに対して母は何の反応も返してきてはおりません。
送った後は怖くなり震えが止まらなかったりしましたが、今はなかったことにされているのじゃないかと、別の恐怖感があります。

年初めの挨拶を終えて、ようやく距離を置いた付き合い程度ではだめなんだ、決別しないとだめなんだと思えたのです。
まだまだ弱腰ではありますが、決別しかないとここにきて思い立ち、こうやってブログも書き始めました。

 

ここで、一応『始まりについての詳細』については終わりになります。
読み返したり、思い出したり、記録を見直してみたりすると、概ねあっていても細かいところ間違えていたところもありました。
その辺は気づくたびに訂正させていただきました。